武満徹作曲賞 審査結果・受賞者の紹介

2009年度

ヘルムート・ラッヘンマン

【審査員】
ヘルムート・ラッヘンマン(ドイツ)
Helmut Lachenmann (Germany)

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指揮:本名徹次、東京フィルハーモニー交響楽団

【受賞者】

左より、ルカス・ファヒン、木村真人、山本和智、ヘルムート・ラッヘンマン、酒井健治、ラファエレ・グリマルディの各氏 photo © 大窪道治

左より、ルカス・ファヒン、木村真人、山本和智、ヘルムート・ラッヘンマン、酒井健治、
ラファエレ・グリマルディの各氏 photo © 大窪道治

審査員:ヘルムート・ラッヘンマン 講評

英語は私の母国語ではありませんので原稿を用意させて頂きました。お許し下さい。
皆さん、武満徹作曲賞というのは非常にユニークなものであります。音楽シーンの国際的な場面においても、これは非常にユニークなものであると理解しております。そのようなものを企画していらっしゃいます東京オペラシティ文化財団の方々に感謝の念を持っております。武満徹さんという方の人柄、これ自体が非常にユニークな現象であった、と言って良いかと思います。そして武満徹作曲賞というのも、それと同じくらいユニークで独特なものです。武満さんという人は偉大な作曲家であっただけでなく、一度会ったら忘れることができないような人間であったと言えると思います。そして、2009年の審査員としてこの場にいられることを名誉に思っております。
一人の人間が審査をする。「ワン・マン・ジュリー(one-man jury)」ということはどういうことかと申しますと、一人の作曲家、審査員である作曲家が、完全に一人で決めなければいけないという事を意味します。どの作品がファイナルに進むか、そして結局どの作品が勝者となるか。そしてそれは他の審査員の方々が留保をつける、こういったことを考える必要がない、そしてまた妥協をする必要もない、こういうことを意味します。逆に、これはまた以下のようなことも意味します。すなわち、この審査を務める作曲家というのはそれに見合った責任を負うことになる。そして、その個人が批判の対象にもなりえます。作曲賞の結果次第ではですね。そしてそのような批判、批評(criticism)というものはどのような場所でも、どのような時にも生じるものです。
いくつかの疑問が生じてきます。賞を決めるにあたって、他の人と議論をする必要はないのですけれども、しかしながら内的な葛藤、一人の人間の中での、審査員の心の中での内的な葛藤を経験することになります。すなわち、どのような範疇、基準に従ってこの審査というものを行えば良いのか? そして、選考される作曲家の職人芸というか、職人らしさの完全性、こちらにより注意を払えば良いのか? それとも、それらの人のアイデアの独自性、オリジナリティにより注意を払うべきなのか? あるいは、スタイル上の今日性という問題、これはどのくらい大事なものなのか? アドルノが言うところによる「state of the material(素材の状態)」について、どう考えれば良いのか? あるいはまた、自分らしく、メタ・ラッヘンマン、これからラッヘンマンらしいものを踏まえた上で乗り越えてゆくような人々、こういった人を探すべきなのか? 
去年の秋、10月から11月にかけて、二週間をかけて103個にものぼる非常に大きなオーケストラスコア、これを分析させて頂いて、そして選ばせて頂きました。その時、実際私の腕がもう痛くなったんですね。いろいろな楽譜のページを前にめくってみたり後ろにめくってみたりしました。その結果、各々のスコアに私の気持ちに訴えるようなものがあって、それがスコアごとでやはり違うものであると、そういうことを感じました。
こういう風に考えられると言えますけれども、この私がファイナルのために選んでいく、選ばせて頂く。その過程で、なにか無意識の基準というものができあがってきたようです。それはちょうどシェイクスピアのハムレットの一節を言うことによってそれが表現できるかもしれません。「彼の狂気には一つの方法論がある」と。これを少し変えさせて頂いて、「彼らの狂気には方法論があるのだ。彼らの方法論がある」と。そのように言えると思います。このような狂気というものは妥協しない姿勢、あるいは場合によっては、素朴であるほど一つのものを執拗に継続してゆくこと。オーケストラ、そしてオーケストラを使ったような作曲法、これは使う際の各作曲家のそのような狂気なんだと思います。これは私の好奇心を惹きますし、また、敬意を持ちたいと思っております。
それぞれ個性的な形で、これらファイナルに選ばせて頂いた作品のそれぞれがユートピア的な夢を持っていますし、冒険心にも富んでいますし、それぞれの人が一つのオーソリティになる資格を持っていると思います。同時に、彼ら5人のファイナリストたちが作曲の過程で乗り出していった冒険というものが、ここ数日、3日間の間にさらに伝達されたと、継続されたと思います。それは素晴らしいオーケストラ、東京フィルの演奏者たち、彼らの冒険でありましたし、指揮者・本名徹次さんの冒険でもありました。非常に短いリハーサルの時間、それをあのように的確にリハーサルを進めて下さったことに感謝致します。
冒険に乗り出すということは自らをさらけ出すことを意味します。何にさらけ出すかというと、慣れていないもの、そして混乱するような状況の中にあえて身をさらすことです。それによって自分を発見することになる。そして自分の中の隠れたエネルギーであるとか、可能性を発見することになると思います。
そういうわけでストラヴィンスキーの場合ですが、《春の祭典》を作曲した時、彼はこう思ったんですね。これは彼の回想録に書いてあることです。《春の祭典》が実際に演奏されるということを、ストラヴィンスキー自身が恐れたんですね。同じようにシェーンベルクはこう書いています。彼が無調の作曲に踏み出した時、どう感じたかと。彼は煮えたぎる湯の中に押し込まれる、というように自分でも感じていたんですね。そしてピエール・ブーレーズの場合ですけれども、彼はこう語っています。「作曲上、絶望的な気分になった」と。彼が《構造Structures》を作曲している時にですね。ところが、この作品が彼にしかありえない、一聴してブーレーズらしいとわかる音を作る、そういう作品になったわけです。
私はこの今回の5人のファイナリストの方々に、作曲していく中で、今言ったような作曲家と同じような危機的状況があったのかと、そこまでを尋ねることはしないことに致します。しかし私は希望するのです。彼らにそのような危機があったら、そこから逃げないでほしいと。冒険心を持ったままでいてほしい。というのはですね、これは私が信じることですけれども、一芸術家が創造性にあふれるものを達成するためには、他の方法はないのです。
では、ここから5人の方々の作品について一つずつ私なりにコメントさせて頂きたいと思います。

■ ルカス・ファヒン 《Crónica Fisiológica Universal》
彼は、非常に常軌を逸したプレイング・テクニックを使った作品を創出することに成功しています。これは楽器の音響をわざとねじまげているものです。そのようにねじまげられた音響がより聴きなれた音響と結びつきます。それによって両方共が阻害されることなく融和していく形をとっています。これが非常に彼らしい、非常にオリジナルな形のコスモス、宇宙観というものを作っていると思います。この彼独自の世界は今度はですね、音、そして音型ですね、フィギュアに、それしか持てないような表現力を与えていると思います。このような表現力というのは人工的に操作されてできるものではないと思います。ファヒンさんの作曲上のアプローチ、これが一貫しているから、その結果として自然に生まれるものと思います。今日皆さんがお聴きになったすべての作曲家の作品のうちで、ひょっとすると、このファヒンさんの音世界というのは私自身のものに一番近いと言えるかもしれません。それにも関わらず、それが私のと間違えられるということはなく、独自の世界、独自の音響になっていると思います。

■ ラファエレ・グリマルディ 《Creatura temporale》
一聴したところ、ちょっと似たような作曲上のアプローチであるように見え、あるいは聴こえますけれども、そうではないです。というのはですね、私が先程ルカス・ファヒンさんの音楽について申し上げました、もしかしたらほとんど無意識的ともいえる表現力。こういったものがですね、グリマルディさんの作品ではそうではなくて、むしろ意識的な詩としての、ポエムとしての強烈さになっていると思うからです。このグリマルディさんの音楽においては音と動きというものが複雑に絡み合っている、ということが一つ、一方であります。しかしもう一方では、ある種のリリシズム、抒情性というものがあって、これを作曲者自身メランコリーという風に表現しています。これはある種のスペースを提供するものです。そのスペースというのは、この今のコンテクストで申し上げると、新しい光の中で立ち現れるような、彼個人のインターバルになると思います。このグリマルディさんの曲の途中で、ある調、調性の調が出てくるところがあります。これはですね、バッハのフーガの技法、モーツァルトのレクイエム、ベートーヴェンの第九交響曲、またはブルックナー、マーラーの第九交響曲でも使われる調です。そしてまた新しい聴取、扉を開いた、シェーンベルクの最初の弦楽四重奏、それからさらに彼の作品16のオーケストラ曲のうちの2番目にも出てきます。そしてストラヴィンスキーの《春の祭典》の第2部にも出てくる、ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》でも出てくる。ヒンデミットの、あのスキャンダルを呼んだ、オーケストラのためのコンチェルト作品38、ここでも出てくる。そしてアルバン・ベルクの《ヴォツェック》でも出てくるし、なんとシュトックハウゼンの《コントラプンクテ》でも出てくる調。すなわち、Dマイナーであります。そしてグリマルディさんの作品の最後の部分ですけれども、非常に表現的な音、あるいは身振り、ジェスチャー、これはシェーンベルクの作品19の「6つのピアノ曲」の最後のもの、あの有名なグスタフ・マーラーの葬儀から帰ってその日に書かれた作品で、シェーンベルクが表現したものと同じようなものが、ここで非常にリアリスティックな感じで出てくる、感じられると思います。今、私が(「ふーっ」と)息を出したように、ドイツ語で”wie ein Hauch”という、まるで息のように聴こえてきます。

■ 木村真人 《果てしなき反復の渦 ─ 混沌の海へ》
これはワイルドな、非常にワイルドな、心をぐっと掴むようなオーケストラのトゥッティ。これがある種のお祭りのように音を増幅させていきます。オスティナートがあらゆる場所からまるで魔法のように聴こえてくる。この木村さんの音楽ですけれども、私がしばしば使っている言い方なんですけれども、テキストとしての音楽、そしてシチュエーション(状況)としての音楽、こういう対になっている概念を思い出させます。テキストとしての音楽というのは、バッハとかブーレーズの中でよく見出せるものだと思いますけれども、シチュエーションとしての音楽というのは、例えばベートーヴェンの第九交響曲の冒頭の部分、あるいはブルックナーの第四交響曲の冒頭、そしてラヴェルの《ダフニスとクロエ》でも聴かれるものです。木村さんの作品においては、ある種のシチュエーションを彼は生み出していると思うんですね。その内側を私たちは覗き込んで、聴きこむことになります。それがどういったものかというと、めまいがした時に、私たちがいろいろな色を見る、あるいは見た気がするようなものだと。これは人によってどういう色が出てくるかは違うわけです。こういう時によく思い出すのはですね、たとえば眼球を強く押さえつけたときに見える色は人によって違います。あるいは別の言い方をするとですね、大きく打ち鳴らされた教会のベル。そのベルの残響を聴いているときに、感じるめまいのようなものです。ここで、シュトックハウゼンの時間体験としてのノイズ、ノイズという名の時間。こういった概念を思い出します。それは様々な動きのスペクトラム、スペクトルであったり、あるいはコンサートホールにおける自然の様々な力を音としてアレンジしていく、良い意味でアレンジしていく。そういったものですね。エドガー・ヴァレーズのような作曲家も、こういったものを好んだのではないでしょうか。もしかすると、木村さんの音楽のようなものでは、構造というものについて語るのではなく、つまり、建築されてゆく秩序・順序といったものではなく、テクスチュア、音のテクスチュアについて語るべきなのでしょう。これは構造と同じくらい精密に仕上げられています。そして組織されたカオスといった印象をもたらします。これは例えば我々が蟻がいっぱい動いている蟻塚に近づいてみるとわかることですけれども、我々から見れば非常に明確な構造が見えるわけです。ただ一匹ずつの蟻は、自分自身のゴールを持っているわけですね。我々の視点から見ると、それが独特なカオス、何かきちっと構造づけられたカオスに見えてくるわけです。

■ 山本和智 《ZAI For Orchestra》
同じように、山本さんが《ZAI》という作品でなさったこともある種これと似た部分があると思います。すなわち、秩序としての混沌・カオス。あるいは混沌としての秩序。こういったものの弁証法、アンビバレンスにあたるものです。これは非常に複雑に出来ていますね。驚くほどに厳しく、精緻に仕上げられた複雑さです、複雑な構造です。生き生きとした色、そして生き生きとした音の動きです。どのようにできていたかと言いますと、皆さんもお聴きになったわけですが、基本的には八重奏の形になっていると。8つの器楽グループに分かれています。私は、将来この作品がまた再演されるときには、舞台だけではなくてコンサートホール全体に音の、音響グループが広がって演奏されるのではないかと、そういうことも想像することができるのです。
その中でですね、非常に激しいいろいろな層、音の層に分かれていくと。場合によってはジャズのような、マーチだったりダンスだったりする。ある種の引用を思わせるものがある。引用されたような感じもあると。それによってやはり、それら自身の独特のカオス、ユニークなカオスを生み出しています。チャールズ・アイヴズが顔をのぞかせているところもあるような気がしますし、その時のアイヴズは、何か私は喜んでいるような気がします。
しかしながら、この山本さんの作品においてはここで終わらないんですね。さらにエスカレートしていきます。これはもちろん皆さんが先程経験することができたわけですけれども、さらにこの現象が別の次元へと持っていかれます。もしかすると、こういったことは初めてかもしれないのですが、私たちがコンサートでは当たり前になった儀式のようなあれ(拍手)がですね、一つのテクスチュアとして聴こえる。あるいは聴こえるように作曲家によって誘導されると。これはこれでまた一つの独特なイディオシンクラティック(idiosyncratic 特異な)なカオスと言えると思います。今まであまり気にも留めていなかったことが非常に極端な姿を帯びて、現れ直すと。私たちがこの曲の冒頭に聴いたような、高度に人為的な操作を得た複雑性の中に拍手が顔を出してきます。これをユーモラスだなと思う人もいるかもしれません。でもそれ以上のものだと思います。私たちの聴き方を変える音楽になっていると思います。

■ 酒井健治 《ヘキサゴナル・パルサー》
様々な楽器グループが広がった配置によって、非常に良い意味での効果、エフェクトが出ることが想像できます。この曲においては非常に高度に発達した作曲技法を聴き取ることができます。こういったヴィルトゥオージティというものは、もちろん素晴らしいピアノとパーカッションのソロの部分だけではなく、全体としての作曲技法の卓越性、音と時間を扱う、そういったものを感じ取れると思います。この音楽のスタイルというものは全く見知らないものではない、ちょっと知ったスタイルという気がします。この作曲家がどこで学んだか、そしてそこを立ち去ったか、こういったものが聴き取れるような気がします。バベルの塔のような大きな塔がある街を立ち去ったのかもしれない。スタイル上何か似ているものを思わせるというのは、だからといって何かのスタイルの不毛な模倣、エピゴーネンになっているということは全く意味しません。この音楽というのは、極めて個人的な形で発達していく、作曲家個人のスタイルになっていくからです。悪い意味での細かい事は気にしないで先に進んでいく。何かある種の軽やかさとか輝きを帯びてきます。私が昨年の秋にドイツで一生懸命スコアを分析したのですが、それでも今回ここで練習や実際の演奏を聴いた時に、その音響が私を驚かせたのです。
ここで付け加えさせて頂きますが、この曲に限らず全ての曲について言えるのですが、いやこの曲で特にそうだったとも言えるのですが、東京フィルの素晴らしい演奏者お一人ずつ、エレクトリックといえるほどの指揮を繰り広げてくれたマエストロ本名に対して、そして彼らが音楽上達成したものに対して最大の賛辞を贈らせて頂きたいと思います。非常に注意深く、ミュージシャンとしての本当の責任感を持ってこれらの作品を演奏して下さったと思います。

最後に私がどのような形で審査を終えたか、もう一言だけ言わせて下さい。私が選ばせて頂いた作品が、音楽史の中に残るという事はまだ保証できません。音楽史の将来というのは分かりませんが、今言える事があります。それはこのような作曲家たちが冒険をして下さったおかげで、それがどのような形で努力されたか判らないとしても、彼らは明らかに領域を拡張したのです。作曲家自身の経験という領域が広がっただけでなく、私達聴いている者の地平線も広がっていると思います。演奏者もそうでしょう。そして今日好奇心を持って、冒険心を持って聴いて下さった皆さんの領域も広がったことでしょう。
武満徹作曲賞というのは、ここで終わりなのではない、良い作品でした、といって賞賛の念を表明する場ではないと考えております。これは将来に対する励ましをさせて頂く場だと思っております。ここで止めることなくやり続けてください。そして、新しい地平線をどんどん切り開いて下さい。賞を決めるということは、どうしても客観的にはなれないものだと思います。これは日本の雅楽、ウィンナワルツ、ニューオリンズのジャズ、インドのラーガが出てきたとき、どのように順位をつけるのか、これは無理です。ということで、私は当然主観的なランキングしかできません。それをご容赦いただければと思います。

受賞者のプロフィール

第1位
酒井健治(日本) Kenji Sakai
ヘキサゴナル・パルサー

1977年8月6日、大阪府池田市生まれ。2000年京都市立芸術大学音楽学部作曲科を卒業。久保洋子、近藤圭、前田守一、松本日之春の各氏に師事。卒業後渡仏。2006年パリ国立高等音楽院作曲科、2008年ジュネーヴ音楽院作曲科をいずれも最優秀の成績で卒業。ディプロマ取得。マルコ・ストロッパ、ミカエル・ジャレルの各氏に師事。2001年、2002年日本音楽コンクール作曲部門入選。2007年ジョルジュ・エネスコ国際コンクール作曲部門大賞。2004年文化庁芸術家在外研修員、2003年、2005~2007年、ローム ミュージック ファンデーション奨学生。2007年よりIRCAM研究員。2009年10月、アンサンブル・アンテルコンタンポランによる、パーカッション、18人のアンサンブルと電子音響の為の"Astral/Chromoprojection"の初演が予定されている。現在、パリ在住。

【受賞の言葉】
まず最初に、素晴らしいオーガニゼーション及びコンサートの企画をしてくださった東京オペラシティ文化財団の皆様に、まず感謝をいたしたいと思います。そして、5日間という短い期間でしたが、指揮者の本名徹次さん及び東京フィルハーモニー交響楽団の皆さんにも深く感謝したいと思います。
私の作品は、極めてリズム、パッセージなど、色々大変なパートが沢山あったんですけれども、それを本番で本名さんは素晴らしいコントロールで演奏してくださったことに、そして、それに付いて来てくださった東京フィルハーモニー交響楽団の皆さんに大変感謝しております。ありがとうございます。
そして、今この場ではっきり言います。この賞は、僕一人の力で決して取ったものではありません。僕の書いたスコアを通して、その意図を汲み取ってくださった演奏者の皆さんに大変感謝しております。
そして最後になりますが、ラッヘンマン氏に感謝いたしたいと思います。この、東京での5日間の滞在の中で、ラッヘンマン氏とファイナリスト、及び、オペラシティ関係者の皆様で食事会をいたしましたが、その中でラッヘンマン氏と会話したことは、僕のこれからの作曲家人生で忘れられない、とても大切な1ページになると思います。そして、今日このコンサートに来てくださった皆様に大変感謝したいと思います。ありがとうございました。

第2位
ラファエレ・グリマルディ(イタリア) Raffaele Grimaldi
Creatura temporale

1980年11月10日、シアーノ生まれ。サレルノ国立音楽院ジュゼッペ・マルトゥッチにて、2004年にはピアノのディプロマを、2007年には作曲のディプロマを取得。2005年、ナポリのサン・カルロ劇場にて音楽学を研究。2007年と2008年には、フランスのメスで行われたアカント音楽祭に参加。2008年からは、ローマのサンタ・チェチーリア国立音楽院にて作曲の高等クラスを受講している。また、2008/2009年のIRCAM研究員。

【受賞の言葉】
私は普段非常に静かな男ですので、このように皆さんの前で喋るということはなかなか難しいんですけれども、まず、私を候補作に選んでくださいましたラッヘンマンさん、東京フィルハーモニー交響楽団の方々、そして指揮者の本名徹次さん、私のスコアもおそらく演奏上難しかったと思うんですけれども、それを素晴らしく演奏してくださってありがとうございます。そして、東京オペラシティ文化財団の方々に個人的に感謝の念を捧げたいと思います。特に(スタッフの)沙織さんと淳さん、本当にありがとうございました。

第2位
山本和智(日本) Kazutomo Yamamoto
ZAI For Orchestra

1975年10月18日、山口県萩市生まれ。作曲を独学で学ぶ。2005、2006、2007年“Jeunesses Musicales Romania”(ルーマニア)入選。2006年“The Molinari Quartet’s International Composition Competition”(カナダ)第1位。2007年AIC/Mostly Modern International Composers’ Competition(アイルランド)第1位。作品は日本をはじめカナダ、フランス、ドイツ、アメリカで演奏されている。

【受賞の言葉】
まず、素晴らしい演奏をしていただいた本名徹次さんと東京フィルハーモニー交響楽団の皆様に感謝いたします。一人で審査していただいたヘルムート・ラッヘンマン氏、ならびに、素晴らしい機会を与えていただいた東京オペラシティ文化財団の皆様に感謝いたしたいと思います。ありがとうございます。
今回の2位という賞は、僕にとっては非常に重いと思っております。光栄である上に、今回は多くの課題をいただいたと思っております。これからも頑張って作曲を続けますのでよろしくお願いいたします。最後に、今まで色々と支えてくれた友人と両親に感謝したいと思います。ありがとうございます。

第3位
ルカス・ファヒン(アルゼンチン) Lucas Fagin
Crónica Fisiológica Universal

1980年6月16日、ブエノスアイレス生まれ。ダニエル・モンテスとリカルド・マルティネスに作曲を学んだ後、2003年~2007年、パリ国立高等音楽院でマルコ・ストロッパ、ステファーノ・ジェルヴァゾーニ、ルイス・ナオンに作曲を師事。2008年、エレクトロニクスのための《Physiological Mechanics Fantasy》、サックス・アンサンブルのための《Ilusionario》において、特に空間化とノイズの用法について異なる可能性の探究を続けた。現在、アンサンブル・ミュルティラテラル、SACEM(フランス)から委嘱を受け、新たに弦楽四重奏曲を書いている。また、アルゼンチンの作家ロベルト・アルトRoberto Arltの小説『The flame-throwers』を基にした映像とテクストを含む新作を構想中。

【受賞の言葉】
まず最初に、ラッヘンマンさんがファイナリストに選んでくださったこと、非常に感謝したいと思います。そして、東京オペラシティ文化財団の方々にも感謝申し上げたいですし、オーケストラの方々、指揮者の本名さん、非常にプロフェッショナルな演奏をしてくださってありがたく思っております。私の作品は、演奏上非常に難しいことをやっていただいたにも関わらず、非常に完成度の高い演奏をしてくださったことを、あらためて感謝申し上げます。どうもありがとうございました。

第3位
木村真人(日本) Masato Kimura
果てしなき反復の渦 ─ 混沌の海へ

1981年12月1日、東京都大田区生まれ。音楽とは無縁の環境で育ったが、15歳の時より坂本龍一の音楽に興味を抱くようになり、独学でピアノを始め、そのことが作曲を志す契機となった。2005年武蔵野音楽大学音楽学部作曲学科卒業。作曲を坂幸也に師事。同年第74回日本音楽コンクール作曲部門入選。作品には《散り舞う桜花~西行の三つの歌~》、《聴こえざる声》、《深淵より》、《無垢とは何か》、《巡礼~内なる魂の旅~》等。

【受賞の言葉】
本日はお越しいただきありがとうございます。このような作曲コンクールで、これだけ人が集まっていただいて非常に嬉しく思っております。昨年の12月にファイナリストに選んでいただいて、それから非常に緊張していまして、自分のスコアを直視することが出来ないほど緊張していました。 今日演奏が終わって非常に安心しております。
ほかの4人の方々のファイナリストについての作品ですが、やはり音響に対するイマジネーションの豊かさとか、それから高度なテクニックですね、そういったものに圧倒される思いがいたしました。非常に刺激になりました。
東京オペラシティ文化財団の方々と、今回演奏してくださった本名徹次さんとオーケストラの方々、それからこのような機会を与えてくださった審査員のヘルムート・ラッヘンマン氏に非常に感謝いたします。今日は本当にありがとうございました。


2017年度審査員

ハインツ・ホリガー(スイス)

2018年度審査員

ウンスク・チン(韓国)

2019年度審査員

フィリップ・マヌリ(フランス)

2020年度審査員

トーマス・アデス(イギリス)

2021年度審査員

パスカル・デュサパン(フランス)


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