インタビュー
Interview

美術大学で建築を学び、モデルとして活躍しながら子育てや登山も楽しんでいるというKIKIさん。ご自身でもカメラを持ち歩き美しいモチーフを撮影することも。「とても観たかった展覧会です」と期待していた石元展を、担当キュレーターの福士理(ふくし おさむ)がご案内しました。

福士(以下F):まず1室目はニューバウハウス時代の作品が並んでいます。モホイ=ナジの「写真は光の造形である」という言葉にあるように、ロールした紙に光を当てて明暗のグラデーションを作るなど実験的な作品を多く生み出していました。

《ファンタジー》 1948年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

KIKI(以下K):写真というよりも平面的な構成をしているように見えますね。

F:石元さんは実は網を撮るのが好きだったんです。かなり後期まで繰り返し撮っていました。

展示風景
撮影:山中慎太郎

《グラスとネット》 1948年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

K:少しエロティックに見えます。森山大道さんも網やネット、ストッキングなどモチーフにしていますよね。

F:石元さんは、桂離宮など代表的な仕事とは別に、後の写真家を先取りするようなことをその都度さりげなくしていて興味深いです。

K:多くの写真家の先駆けになっていたんですね。

《ハンド・スカルプチャー》 1948-50年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

F:「ハンド・スカルプチャー」というこの作品、石元さんがニューバウハウスで受けた教育で、木を削り見た目が良い形ではなく、握ってしっくりくる形をつくるという課題があったそうです。つまり触って膨らみを感じるという、視覚以外の感覚、触覚が磨かれたということです。

K:形が持つ力や内側から発する力を表現していたのでしょうか。

F:そうですね、石元さんはよく造形写真と言われますが、形や構図を固めてしまうのではなく、むしろ形から何を感じるか、その感覚の豊かさを大切にしていた写真家なのではないかと思うんです。

K:とても有機的ですよね。画面だけでは収まらないでそこからまた動き出すような作品ですね。

F:実は石元さんは「決定的瞬間」という考えは好まなかったんです。むしろ時間の流れだったり、空間を満たしている力だったり。それが彼にとって大切だったんですね。確かに構図も素晴らしく決まってはいますが。

K:そのあたり、誤解されがちな部分ですね。

《多重露光》 1948-52年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

K:目線がとても独特ですね。奥行きよりも平面性を感じます。桂離宮のシリーズにも通じていますね。

F:当時の抽象絵画にも通じていたかもしれません。

  • 《シカゴ こども》 1948-52年
    ©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

  • 《シカゴ 街》 1949年
    ©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

F:ニューバウハウスで石元さんが写真家として師事したハリー・キャラハンは、バウハウス直系の人ではなかったのですが、街に出て人を撮ることを奨励していました。東京とシカゴの人物を撮影する石元さんのライフワークの起点がそこにあるのです。
でも人を撮ることに苦手意識があったらしく、だから子供や寝てる人を撮ったりしているんですよ(笑)。

K:これは建築家のミース・ファン・デル・ローエですか?

    《シカゴ ミース・ファン・デル・ローエとコンラート・
    ヴァクスマン、イリノイ工科大学にて》 c.1952年
    ©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

F:そうです。石元さんの在学中にニューバウハウスがミースが教えるイリノイ工科大学に合併されたので、交流があったようです。

電柱と通行人の影のシリーズ、1948-52年
展示風景
撮影:山中慎太郎

F:電柱と通行人の影を撮るシリーズ、決定的な瞬間を撮っているように見えて、やはり空間のなかでの運動や時間の流れが大切だったように見えますね。

K:何かテーマ性を持って撮り続けている、という作品が多いのでしょうか。

F:そうですね、幾つか系列があります。それをシカゴでも東京でも…ということがあります。

《シカゴ 860-880 レイク・ショア・ドライブ・アパートメント(ミース・ファン・デル・ローエ)》 1948-61年
3点とも ©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

F:これはミースが手がけたレイク・ショア・ドライブというピロティの建築を捉えた作品です。真ん中のこれ、最初、なんだろうなと思いますよね。

K:T字鋼を真下から撮っているんでしょうか。建築を撮るというよりはとても抽象的な視点ですね。このようなモチーフを見つけることはすごく楽しかったのではないでしょうか。

F:写真家の畠山直哉さんがこの作品を見て「僕ならここまではやらない、あれっ?と思わせても5秒くらい見れば分かるように撮る」とお話していました。でもこれは30秒くらい見ないと分からない作品ですよね(笑)!

レイク・ショア・ドライブの3点とKIKIさん

K:でも、3点並んでいることによって理解が深まります。1点だけだとずっと見続けても何をモチーフにしているのか分からないかもしれないですね。

《シカゴビーチ》 1948-52年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

F:これはニューバウハウスを卒業してすぐの頃、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に出品したシリーズです。足だけをたくさん横に並べて足の絵巻のように展示されました。

K:後ろから撮るというのが面白いですね。

F:いまだったら捕まってしまいますよね(笑)。石元さんはプリントを焼く時すべて自分で作業されるんです。撮る際にフレーミングもかなり決め込むんですが焼く時にもその都度トリミングを変えたり、焼き込み具合も都度変えていたようで、最終的なプリントが自分の作品だという意識は強かったと思います。

メーデーの作品 1958年
展示風景
撮影:山中慎太郎

F:これらはニューバウハウスを卒業してすぐに東京に来た頃の写真です。
シカゴでたまたま会っていた建築家評論家の浜口隆一の紹介で、石元さんは丹下健三や岡本太郎などアートの世界に深く関わっていくんです。

K:そこで丹下さんとの桂離宮の仕事が始まるんですね。戦後の日本に海外の情報を持ってこれたというのもありますが、出会いと時代性に恵まれていたんですね。熱い時代だったのではないでしょうか。
そして意外にもメーデーなどの社会情勢についても撮っているのですね。

大辻清司とのコラボレーション作品を解説する福士とKIKIさん

F:これは写真家の大辻清司さんとコラボレーションして作られた抽象映画のフィルムのプリントです。フィルムに直接ひっかいたりしてお絵描きしているんです。音楽は最初武満徹さんがつけたのですが、後から没にしたというエピソードもあるんですよ。

《ヌード》 c.1957年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

K:石元さんは人物を撮るのが苦手とお聞きしましたがここでは女性のヌードがいくつかありますね。これは岡本太郎の作品と一緒に撮っているのでしょうか、ヌードでも抽象的、物質的に撮っているように思います。「火気厳禁」の看板と一緒に撮っている作品は、照れくささを消しているのかもしれませんね。

F:石元さんは看板などの文字をたくさん撮っているんですが、イメージと文字の意味との関わりに関心があったかもしれません。「書」にも関心があり、桂離宮の写真集の題字は篠田桃紅さんが書かれているんですよ。

K:そうなんですか!ジャンルをまたいで多くの方々と交流して一緒に何かを生みだそうとしていたんですね。戦争の後で「これからの時代を作ろう、みんなで作り出そう」という機運があったのでしょうね。

桂離宮のシリーズを熱心に観るKIKIさん

F:ここから桂離宮のシリーズに入ります。1953年、日本に来てすぐ京都に向かい桂離宮を撮っています。最初はMoMAから日本建築の展覧会のリサーチ依頼があり、MoMAのキュレーターと一緒に桂離宮に行ったんです。つまり調査に同行しただけだったんです。でも敷石を見てビビっときたようで、最初は石ばかり撮って帰ってきたそうです。

K:それにしても美しいですね。もしかしたら実物より綺麗に思えます。現地だと好きな箇所で佇むことができないですし、今は時間制限もあってゆっくり拝見できないですが、石元さんの作品を通じて「桂離宮を知る、美しさを知る」という人も多いのではないでしょうか。

F:そうですね、みなこれを通して桂離宮を知り、語ってきたと言えるかもしれません。KIKIさんはご自身でも写真を撮るんですよね?

K:建築を勉強していた時に、建造物を撮り本も作ったんです。いろいろ撮り続けてはいますが、今はほとんど山で撮っています。時間の流れを感じられるものとして、私にとっては山も建築もかけ離れてはいないんです。

F:高い山にも登られるんですか?

K:海外の山も経験して、今は日本の山を登っています。はたからすごい山と言われるような山にも登りましたが、今は小さい娘がいるので一緒に行ける山をのんびり登っています。そういうところでこそ、写真を撮りたくなるんですよね。高い山はそこに行けば誰が見ても綺麗な景色があるのでそこで写真を撮ればすごい、となるんですが、身近な山にもいたるところに発見があるんです。

《桂離宮 古書院前の飛石と延段》 1953年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

K:この石は山のように見えますね。

F:石元さんが桂離宮の敷石や飛石に興味を持ったのは、石の形というよりも石の配置が庭を巡る人間の動きや時間をコントロールしているように見えたからだといいます。だから自分の桂離宮は、1点だけでなく多数見てもらわないとなかなか伝わらないとも語ってもいました。石は、人間の行動を誘導する大切な存在であったようです。

K:単なる構図ではない、ということがわかりますね。そしてこれらもとても有機的に見えます。この時、丹下さんがそばにいたんですか?

F:そうですね。丹下さんは建築と写真の結びつきが大切であることを早い段階から意識していて、実はご自身でも桂離宮を撮っているんですよ。それを見ると石元さんと近い構図の写真を結構撮っているんです。丹下さんと石元さん、かなり共通のビジョンがあったようです。それまでの桂離宮は日本情緒あふれる場所として撮影されることが多かったと思うのですが、彼らはそこに、むしろ近代的な幾何学性を見出していたようです。

(後編へ続く)

KIKI

  • 東京都出身。モデル。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒。
    雑誌をはじめ広告、テレビ出演、映画などで活躍。
    エッセイなどの執筆も手掛け、旅や登山とテーマにしたフォトエッセイ『美しい山を旅して』(平凡社)など多数の著書がある。
    ドイツのカメラブランド、ライカの会報誌『ライカスタイルマガジン』にて撮りおろしの写真とエッセイを担当し、自身の写真展で作品を発表するなどの活動もしている。
    現在、文芸誌『小説幻冬』(幻冬舎)にて書評を連載中。