インタビュー
Interview

東京オペラシティアートギャラリーの展覧会にたびたび足を運んでくださる前田エマさん。エッセイを書いたり写真を撮ったり絵を描いたり、制作活動も活発に行っている彼女の視点で、影響を受けた作家の一人でもある石元泰博展についてお話ししていただきました。

東京オペラシティ アートギャラリー(以下T):今回の展覧会は、実は今年行われるはずだった五輪に合わせた開催を予定していました。海外からの来客が増えるタイミングで写真家として大きな功績を残した石元さんを改めて紹介したいと考えていたんです。

前田エマ(以下E):五輪は延期となりましたが、来年は石元さんの生誕100年を迎える年なんですね。東京都写真美術館、東京オペラシティアートギャラリー、高知県立美術館の3館で展開しているのですよね。

T:そうなんです。かなり大規模に展開しています。
エマさんのような20代の若い世代から見ると石元さんはどのように映りますか?

E:私は、伊勢や桂離宮のシリーズで石元さんの作品に触れていました。でも今回展覧会を拝見して、実にさまざまな被写体を写していることを初めて知りました。好奇心旺盛で興味の幅が広かったことがよく伝わる展示ですね。

T:街の風景から建築や人物までさまざまですが、食物誌シリーズのように日常にある素材まで被写体にしています。大きな建築物を撮っていた人がここにまで目を向けるというのは興味深いですよね。今では珍しくない食品のパックは、80年代初頭から目にするようになりました。40年を経て、最近はプラスチックをできるだけ使わないという風潮もありますがそれを予感させるようにも思います。

《食物誌(鯛)》 1986年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

展示風景

E:昔は野菜はラップ無しで丸ごと売られていましたが、小分けにして販売されるようになった時代、つまりこの写真シリーズがスタートしたのは核家族が増えた時代ですよね。このシリーズは時代を反映する写真でもあるのかな思いました。それと同時にこのシリーズに対して私は「美しい」と感じずにはいられませんでした。食品がラップで包まれているだけなのに、写真の中にある食品たちが宝石や鉱物のようにも見えました。
石元さんの写真は「物事は別の見え方もできる」という写真表現の根底にある面白さを教えてくれるように感じます。曼荼羅のシリーズも「写真だからこそ見えるものがある」ことを発見させてくれました。

T:エマさんも写真を撮っているんですよね?今回の展示で特に印象に残った作品はありましたか?

E:私は絵を描くのですが、石元さんの構図の取り方は、日本特有の借景に対する感覚が含まれているように感じています。大変おこがましいのですが私は学生時代から、私が描きたかったかったことと石元さんの構図の取り方とが通じていたんです。そのときのショックな気持ちと感動を思い出しました。
また、初期の作品には新しい発見がたくさんありました。予備校生の時に平面構成や静物デッサンの授業で「どう世界をトリミングするのか」を勉強しましたが、石元さんはニューバウハウスで勉強されていたこともあってデザインの基礎があるからこそ画面の構図の計算が驚くほど完璧で、さすがだなと感じました。

展示風景
撮影:山中慎太郎

T:初期のシカゴの写真についてはどのように感じましたか?

E:子供がたくさん写っていていましたね。子供の様子を通してで街の空気が伝わってきます。でも、石元さんは人物も造形物も同じ感覚で撮っているようにも思いました。人物を写すというより面白い構図に反応して撮っていたのかなという印象も持ちました。デザイン集を見ているような切り取り方も感じます。

《シカゴハロウィン》 1948-52年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

T:実は石元さんは人物、特に大人と女性を撮るのが得意ではなかったそうです。ニューバウハウスで勉強していた時に人物を撮影する授業があり、しょうがないから子供を撮ったというエピソードを聞きました。

E:そうなんですね!でも実験的でありながらも構図はきちんと決まっていて面白いですね。そう考えると構図に関しては「かたち」シリーズにも通じるかもしれません。興味の幅はどんどん広がっていくけれども撮りたいものは何も変わっていない。そういうところがとても石元さんらしいですね。
また、離れて見ると写真から受け取る印象は黒々しいのに、近くで見るとディテールや質感の違いを感じられ、風通しのいい気持ち良さがありました。明暗のバランスなどいろいろと実験したのが伺えます。そして、プリントが持つ光沢感やもの感を突き詰めた方だったのだな、と。面白さは突き詰めてみたいですね。

T:建築写真のシリーズについてはどのようにご覧になりましたか?

E:石元さんは地面を大きな面積で構図の中に入れることが多いように思います。建物と大地とが繋がっていることを意識して写しているのでしょうか。いわゆる建築を記録するだけの写真とは違いますよね。記録写真だと建物そのものがフューチャーされますが、石元さんの作品を見ていると建築が存在するその場所に行きたくなってしまうような、引き寄せられる強さがあります。

展示風景
撮影:山中慎太郎

展示風景
撮影:山中慎太郎

T:他に印象に残っている作品はありますか?

E:シカゴで撮影した映像がおもしろかったです!
石元さんの作品の特徴として、常に「自分はここにいるものではない」という“よそ者”のような感覚を感じます。アメリカで生まれたけれども日本人であること、日本にいてもどこか居場所がないような、部外者としての視点があったからこそ、たくさんの写真を撮ることができたのかもしれません。そのことが映像に垣間見られました。

《シカゴ 雪と車》 1948-52年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

T:「終焉から」のコーナー、地方のお祭りの写真にちょっと驚かれていましたがなぜですか?

E:東京やシカゴのイメージが強い写真家ですが、地方も多く撮っているんですね。本当に様々な場所を移動していらっしゃいますね。
お祭りの写真は、人物が人物ではないように感じました。国東紀行シリーズの磨崖仏を見たときと同じような感覚になりました。日本の高度成長期の頃の写真と比較してみても常に画面に流れるテンションが同じように感じます。

《御陣乗太鼓(輪島)》 1962-64年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

  • 展示風景
    撮影:山中慎太郎

  • 展示風景
    撮影:山中慎太郎

T:曼荼羅シリーズはいかがでした?かなり迫力があったと思うのですが。

E:もはやこれは現代アートだと思いました。「カメラがあるからこそ見える世界」というものを体験することができました。実体験より実体験できるというか、体験することの面白さを改めて考えさせられました。

展示風景
撮影:山中慎太郎

展示風景
撮影:山中慎太郎

T:石元さんが曼荼羅を現代美術に持ち上げたということですね。すごく良い指摘だと思います。

E:石元さんのカメラや技術を通じて、2020年の今、東寺を飛び出して様々な人に解釈されている。石元さんが撮影しなければこんなに美しく、精緻な曼荼羅を見ることはなかったのかもしれません。それに当時この曼荼羅を描いた人は、こんなに大きく見せられるなんて想像もしてないですよね。
見えているのに見えていなかった世界を教えてくれる写真の世界って、本当に面白いですね。

担当キュレーター福士と前田エマさん

T:曼荼羅のシリーズはトリミングが田中一光さん、編集が杉浦さん、と当時の曹操たる顔ぶれで構成されたそうですよ。

E:多くの方とコラボレーションしていたんですね。その時代の寵児たちと自分だけではできない表現をできるなんて素晴らしい環境。羨ましいです。そんな人を引き寄せる石元さんの人柄にも興味が湧きます。

T:みながお互いを必要としていた、そんな時代だったのかもしれません。
特に丹下さんと石元さんの交流は深かったようです。
建築評論家の濱口優一さんがシカゴに来た時に、ニューバウハウスの教員が日本人の優秀な学生がいると石元さんを濱口さんに紹介したんです。そのあと石元さんが日本に戻った時に、今度は濱口さんが建築家やデザイナー、岡本太郎のような美術家など片っ端から紹介したそうです。そのため写真界よりも先に建築界で名が挙がり、丹下さんともすぐ仕事ができたんですね。

E:先日ホンマタカシさんが監督をされた妹島和世さんの映画*を観たのですが、建築家と写真家の関係はその時代を映し出すのかもしれないなと思いました。
*「建築と時間と妹島和世

展示風景
撮影:山中慎太郎

《伊勢神宮(内宮御手洗場の清流)》 1989, 93年
©高知県,石元泰博フォトセンター/高知県立美術館蔵

E:実際に伊勢に行っても体験できない体験、写真でしか見ることができない体験をこの展示室では体験できますね。
自分のスタイルが確立するとそのスタイルを壊さないために他のものを撮ることができなくなる写真家もいるかもしれませんが、石元さんは時間を超えて常に挑戦し続けていた人なのではないでしょうか。

前田エマ(まえだ えま)

  • 1992年神奈川県生まれ 東京造形大学 卒業
    オーストリア ウィーン芸術アカデミーに留学経験を持ち、在学中からモデル、エッセイ、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティなど、その分野にとらわれない活動が注目を集める。