公演スケジュール

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COMPOSIUM2015 エッセイ

慈しみとつよさと
カイヤ・サーリアホの音楽

望月 京(作曲家)

カイヤ・サーリアホ

コンポージアム2015では、フィンランド出身、現代ヨーロッパを代表する作曲家サーリアホを「武満徹作曲賞」審査員に迎え、あわせて彼女の音楽世界を紹介します。サーリアホの音楽の魅力について、作曲家の望月京氏にご寄稿いただきました。

「女性は指揮者には向いていない」─ 若くして成功した作曲家でもある、パリ国立高等音楽院の現学長が、ラジオインタビューでこう発言し、物議を醸したのは一昨年のことだった。女性の社会進出や活躍が当然の昨今、作曲家や指揮者の世界が、少なくとも欧米において、変わらず男性中心社会なのは、長い歴史や伝統の背景ゆえだろうか。
私が同音楽院の作曲科に入学した20余年前、女子学生の少なさと、それが皆アジア人であることに驚いたものだが、現在でもそれは変わっていない。ドイツやフランスを中心とする「本場」の作曲科における女子学生の存在は例外的(15%未満)であり、「周縁国」の出身者であることが多い。教育の段階でそのような状態なので、卒業後、プロとして活動し、それを継続できる女性作曲家が、どれほど希有な存在か、語るまでもないだろう。
カイヤ・サーリアホは、そうした環境のなかで、80年代から常に第一線で活躍してきた、まさに希有な女性作曲家である。
私がヨーロッパに留学して学んだ重要なことのひとつに、「現代音楽の作曲家」とはどんな仕事で、いかにして活動できるようになるのか、たくさんのモデルを間近に見ることができた点が挙げられる。特に、パリのIRCAMに在籍していた時には、国際色豊かな、多くの中堅および大家の作曲家たちが制作に訪れ、講演やレッスンなどを行ったので、さまざまな「生きた実例」に接することができた。サーリアホ女史は、そのような過程でお目にかかれた二十人近い作曲家のうちのお一人であった。
IRCAMは、その名のとおり、「音響・音楽の探究と調整研究所」であるので、訪れる作曲家たちの話やアプローチも、概してテクニカルだ。サーリアホ女史は、そうしたなかで、テクニックよりも、創作の背景にある、彼女自身の社会観と結びついた興味 ─ オック語や子育てなど ─ に重点を置いて話された唯一の作曲家だった。
「生き馬の目を抜く」という雰囲気のあったフランス作曲界の殿堂で、ほぼ紅一点で活躍中の作曲家の講演が、論理より感覚に焦点をあてた個人的内容だったのが意外だった。IRCAM教育部門ディレクター(当時)として講演を見守られていた夫君のジャン=バティスト・バリエール氏と軽口をたたかれたり、終始リラックスしたご様子のサーリアホ女史は、自然な幸福感にあふれていらした。気さくで穏やかなお人柄で人望のあったバリエール氏と、お互いの仕事を理解し、サポートし合うご夫妻の姿は、「理想の夫婦像」として皆の憧れだった。

もの静かでシンプルながら、独自の存在感を放っているのは、サーリアホ女史ご本人だけでなく、その作品にも共通する特徴だと思う。
IRCAMで制作される音響は、多種多様な作曲家の出自やアプローチにもかかわらず、どことなく似かよった響きに帰結することも少なくないが、サーリアホ作品は、聴けばすぐに彼女だとわかる、独特のうるおいとあたたかみのある響きに満ちている。
その頃、もっとも流行っていた、「新しい複雑性」と呼ばれる音楽とは対極にある響き。それは、連日、慣れない新しい音響制作プログラムを詰め込み、疲れ果てた耳や脳に、深く、やさしく、しみこんだ。「干天の慈雨」─ その日の彼女の個展で、最初に演奏された曲のタイトル《雨が降る》から、そんな表現を連想したことを、20年近く経った今も覚えている。

マイノリティはマイノリティとして、大勢に流されず、その矜持をもつこと。
それは、声高に訴えずとも、ただ粛々と実行し、継続することで、石を穿つ雨のようなつよさを持ちうること。
そうした、確たる意志と、自然体との、矛盾にも似た共存こそが、彼女の音楽の本質的な魅力だと思う。と同時に、それは、作曲家がいかにしてその活動を続けうるのか、あるべき基本姿勢を示唆する、もっとも説得力ある助言であり、励ましにも感じられた。
このたび、演奏会形式で日本初演されるオペラ『遙かなる愛』のパリ公演を最後に、私は彼女の近作を聴いていないが、当時のサーリアホ女史とその音楽は、私にとって、慈愛あふれる「母」の姿そのものだったのである。

望月 京 Misato Mochizuki
作曲家。明治学院大学文学部芸術学科教授。東京藝術大学、同大学院、パリ国立高等音楽院にて学ぶ。1996-97年IRCAM研究員。現在、主にヨーロッパと日本でもっとも活躍する作曲家のひとり。読売新聞で年4回の「音楽季評」連載中。
http://jp.misato-mochizuki.com

東京オペラシティArts友の会会報誌「tree」Vol.108(2015年2月号)より

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