マティアス・ゲルネ&ピエール=ロラン・エマール

マティアス・ゲルネ&ピエール=ロラン・エマールチラシ

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日時:
2009年10月11日[日]16:00
会場:
コンサートホール     ホールへの行き方   座席図

夢の共演! 
恐ろしいほど完璧な二人が誘う、ドイツ・ロマン派歌曲の深淵。

  • 【アンコール曲】 シューマン:歌曲集「ミルテの花」op.25より
    第24曲:君は花のごとく
    第1曲:献呈

[出演]

バリトン:マティアス・ゲルネ
ピアノ:ピエール=ロラン・エマール

[曲目]

  • ベルク:4つの歌曲 op.2
  • シューマン:歌曲集「女の愛と生涯」op.42
  • シューマン:リーダークライス op.39

  • チケット情報
  • 公演について
  • 出演者プロフィール
  • インタビュー

チケット情報

[料金](全席指定・税込)
S:¥8,000 A:¥7,000 B:¥6,000 C:¥5,000 D:¥4,000

*演奏会当日に残席がある場合、学生券を¥5,000で発売します。(要学生証)
当日10時より東京オペラシティチケットセンターへお問い合わせください。

[チケット発売日]
Arts友の会優先発売 :6月12日[金](特典:10%割引)
一般発売 :6月19日[金]
インターネット予約受付開始(予定) :6月23日[火]10:00~
[チケット取り扱い]
東京オペラシティチケットセンター 03-5353-9999
チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード:324-884)
イープラス http://eplus.jp/
ローソンチケット 0570-000-407(Lコード:36322)
CNプレイガイド 0570-08-9990

公演について

夢の共演! 
恐ろしいほど完璧な二人が誘う、ドイツ・ロマン派歌曲の深淵。

マティアス・ゲルネの声は、いまや世界の宝である。
一度聴いたら絶対に忘れられないあの深遠で力強い歌声は、何物にも動じない意志と鋭い知性の存在を感じさせる。ドイツの歌曲やオペラを歌わせていま最高のバリトン歌手といったら、ほとんどの玄人筋は真っ先にゲルネの名前を挙げるはずだ。
その彼が、現代随一の知性派ピアニスト、ピエール=ロラン・エマールといよいよ日本で共演する。 今回の選曲でまず意外に思われるのが、従来女性歌手のレパートリーであった《女の愛と生涯》。これははっきり言ってしまえば男にとって都合のいい貞淑な女を描いた歌曲集とみなされがちであり、それゆえ女性歌手たちからは近年避けられてきた。だが、これをあえて歌う理由についてゲルネはこう述べる。
「女性がこの歌曲集を耐え難いと思うのは、歌の表面だけを見れば確かに仕方ないかもしれません。でも、この作品を深く見てみると、シューマンの心そのものが代弁されていると思うのです。つまり、シューマンが時折みせる瞬間的で絶対的な、100%の献身と愛情が見事に表れている。これを男性が歌うことで、より一層の意味が見出せるはずです」
《リーダークライスop.39》についてもゲルネは、従来の解釈とは異なる立場をとる。
「よく言われるような、クララへの愛情の贈り物、という関連でこの作品をとらえることには疑問を感じます。それよりもこの歌曲集は、一つ一つの曲を完結した作品として見るべきなのです。シューマンの場合、どんなに熱狂的にプラスの方向を向いているように思われる曲であっても、それは最終的には対極にあるマイナスの重苦しい雰囲気の映像、鏡に映った姿に他ならない。それがシューマンの最大の特徴だと思うのです」
ベルクの《4つの歌曲op.2》は、あの《ピアノ・ソナタop.1》に共通する官能的で暗い雰囲気を持った作品だが、ゲルネはそこにシューマンとの共通点を見出す。いわば暗いエロスの世界こそ、今回の隠れたテーマなのだ。稀有の才能を持ったアーティスト二人の共演によってこそ実現できる、ドイツ歌曲の真髄をぜひ堪能したい。

林田直樹(音楽ジャーナリスト)

出演者プロフィール

マティアス・ゲルネ(バリトン)

Matthias Goerne, baritone
Photo © Marco Borggreve
for Harmonia Mund
マティアス・ゲルネは、その温かく流麗なバリトンの声と深い楽曲解釈により、世界中から賞賛を得ている。リート歌手として高い尊敬を集めている彼は、ニューヨークのカーネギーホール、ロンドンのウィグモア・ホールといった一流のホールに頻繁に招かれており、ピエール・ロラン・エマール、レイフ・オヴェ・アンスネス、アルフレード・ブレンデル、クリストフ・エッシェンバッハ、エリザベス・レオンスカヤといった高名なピアニストたちが音楽上のパートナーである。
2008年から2011年にかけては、シューベルトの傑作歌曲を自身が選び、全11枚に及ぶCDに収めると同時に(ハルモニア・ムンディ)、世界各地の重要なホールで全11回のリサイタルシリーズを行なう。 オーケストラとの共演においても高い賞賛を集めており、世界的なオーケストラ、指揮者と有名なコンサートホール、音楽祭に登場している。2007/08年シーズンは、ザルツブルクとルツェルン音楽祭での出演に続き、ヨーロッパ、ブラジル、アメリカ、日本を訪れたほか、ニューヨーク・フィル、サンフランシスコ響、パリ管など多くのオーケストラと共演を重ねた。 オペラ歌手としての人気も高く、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、ロンドンのコヴェントガーデン・ロイヤル・オペラハウス、マドリッドのレアル劇場、ドレスデン・ゼンパーオーパーなどのほか、ザルツブルク音楽祭、日本のサイトウ・キネン・フェスティバルにも出演。選び抜かれたレパートリーは、モーツァルト『魔笛』のパパゲーノやワーグナー『タンホイザー』のヴォルフラムから、アルバン・ベルク『ヴォツェック』やアリベルト・ライマン『リア王』でのタイトル・ロールにまでおよぶ。2006/07年シーズンは、チューリヒ歌劇場で『低地』のセバスティアーノ、ベルリン・ドイツ・オペラで『トリスタンとイゾルデ』のクルヴェナルを歌っている。2007/08年シーズンは、パリ国立オペラで『タンホイザー』のヴォルフラム、フィレンツェ5月音楽祭で『エレクトラ』のオレストを、いずれも小澤征爾のもとで歌った。
数々の録音も残しており、その多くが権威ある賞に輝いている。最近のレコーディングとしては、パリ管弦楽団とのツェムリンスキー『抒情交響曲』、エリザベート・レオンスカヤとの『シューベルト歌曲集』があり、08年春からは全11枚の完成を目指す『ゲルネ/シューベルト・エディション』(ハルモニア・ルンディ)のリリースが始まっている。
2001年夏、ゲルネはロンドン王立音楽アカデミーの名誉会員に指名された。2001年から2005年まで、彼はデュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽大学の歌曲科教授として教鞭を執った。
ドイツ・ワイマール生まれ。ライプツィヒでハンス=ヨアヒム・ベイヤーに、さらにエリザベート・シュワルツコップフ、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウに師事した。

MATTHIAS GOERNE Offizielle Website
http://www.matthiasgoerne.de/
(ドイツ語/英語/フランス語/スペイン語/日本語/韓国語/中国語)

ピエール=ロラン・エマール(ピアノ)

Pierre-Laurent Aimard, piano
Photo © Guy Vivien
アーティストをある固定的なイメージで語る誘惑に、人は弱いものだ ─ ピエール=ロラン・エマールのユニークな経歴の、目を見張らんばかりの象徴的な出来事を見ると、そのような誘惑にまず囚われそうになる。1973年のメシアン・コンクール優勝 ─ それからというものこの作曲家の作品といえば彼の名前が登場する。弱冠19歳の若さでピエール・ブーレーズによりアンサンブル・アンテルコンタンポランのソロピアニストに抜擢。また1980年代中頃から始まったジェルジ・リゲティとの極めて密接なコラボレーション。彼はこの偉大な作曲家に選ばれ全楽曲の録音を行なっており、またこの巨匠が作曲した数曲のエチュードは彼に捧げられている。ピエール=ロラン・エマールが新時代の音楽界における重要人物であることは疑う余地もない。
しかし、様々な時代や出典の音楽を可能な限り広く探求することが、常々エマールのプロの音楽家として生きていく牽引力となってきた。彼は作品の歴史的、音楽的そして文化的な背景にとどまらず、同時代に、また時代世代を超えて作曲家同士が与え合った影響の重要性を明らかにするよう絶えず努めている。パリ音楽院やケルン音楽大学での指導経験、またコンサート/レクチャーの国際プログラム(1994~5年のシーズンにリヨンとパリで行われた20世紀のピアノを概観するという8回のコンサート・レクチャー・シリーズ)を通じ、彼は音楽の過去 ─ 現在 ─ 未来について独自の見解を浮き彫りにした。 1957年フランス・リヨンに生まれたピエール=ロラン・エマールは、パリ音楽院に進み4度のプルミエ・プリに輝く。イヴォンヌ・ロリオとマリア・クルチョに師事した。現在は毎シーズン世界各地で著名なオーケストラや指揮者らと共演、一流コンサートホールでのリサイタルや室内楽プログラムで演奏を行っている。例えばクリーヴランド管やフィラデルフィア管、シカゴ響、ボストン響、ロンドン響、ニューヨーク・フィル、ロサンゼルス・フィル、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロンドン・フィル、パリ管、ロイヤル・コンセルトヘボウ管からの招聘を現在受けている。共演の指揮者には、ピエール・ブーレーズ、チョン・ミュン・フン、サー・アンドリュー・デイヴィス、クリストフ・フォン・ドホナーニ、クリストフ・エッシェンバッハ、ニコラウス・アーノンクール、ケント・ナガノ、サー・サイモン・ラトル、エサ=ペッカ・サロネン、フランツ・ウェルザー=メストがいる。
全世界の主要諸都市でコンサート・プロジェクトを行なっており、2001年12月にはニューヨーク・カーネギーホールで、またエディンバラ、ザルツブルク、ルツェルン音楽祭でも待望のデビューリサイタルが行われた。またエマールは毎年、ジャン・ギアン・ケラス、ジョセフ・シルバースタイン、タベア・ツィンマーマンらと共に魅力溢れる室内楽プロジェクトを多数行なっている。
ピエール=ロラン・エマールは、これまでにDGG、Sony、Erato、WergoおよびLyrinxで演奏録音を行っており、テレビ局のArteにおいて20世紀の偉大な作曲家に焦点をあてた映像シリーズの制作を継続して行なっている。このシリーズの最初のフィルムではピエール・ブーレーズを取り上げたが、これは大きな評判となり成功を収めた。近年テルデックで特筆すべき録音をしており、なかでもメシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」と「トゥランガリラ交響曲」は絶賛を博している。新しくリリースされたものには、ロイヤル・コンセルトヘボウ管との共演によるドボルジャークのピアノ協奏曲のライブ録音(アーノンクール)と、ヨーロッパ室内管弦楽団との共演によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲の録音(アーノンクール)がある。

インタビュー


これはひとつの事件である。両者とも、既成概念にとらわれない自由な精神を持った知的な解釈者であり、凄腕のテクニックを持つ名演奏家であり、現代的な視点を常にもって、作品に新しい光を投げかける、類稀な革新者でもあるからだ。今回の曲目でまず目を惹くのが、通常女性が歌うとされている「女の愛と生涯」が選ばれていることだろう。そこを足がかりに、コンサートに賭けるゲルネの意欲と狙いを聞いてみた。


2009年3月11日 於:KAJIMOTO
ききて&構成:林田直樹(音楽ジャーナリスト



《女の愛と生涯》をあえて歌う理由は?
ゲルネ 《女の愛と生涯》は、女性のためではなく、男性のための作品だと私は考えています。確かに女性のことを歌ってはいますが、あくまで「男性が見た女性の話」なのです。二人の男性、シャミッソーという男性の詩人とシューマンという男性の作曲家が、「男性の想像の中での女性の気持ちや感情を描いたものである」という点に注目してもらいたいと思います。ですから、一生懸命自分たちが考える限りの想像力を働かせて、女の人はこういう気持ちだとか、こういう感情なんだろうということを歌っていますけれど、いわば全部男の脳みそで考えたことです。
もちろん、一方の性に特化した感情、たとえば「子どもを持ったとき、持てないとき、どう感じるのか」といったことは、もう片方の性には、本当に理解することはたぶんできないだろうと思います。そういうことを知った上で、普通は女性が歌うとされている《女の愛と生涯》を男性が歌うというところがポイントだと思います。 今、特に西ヨーロッパで女性の歌手が《女の愛と生涯》を歌いたがらない理由は、男にとって都合のよい女が描かれているという内容が耐え難いからなのだろうと思います。「大好きな彼のために私お料理して待っているの!」みたいなね。だから、歌ったとしても、どこか心ここにあらず、といった感じの歌い方になってしまう。歌の表面だけを見ればそういう気持ちになるのもよく判るんですけれど、でももう少し深く見てみると、これはもう本当にシューマンならではの、シューマンにぴったりの極端な感情なんですね。 シューマンは、ロマン派のさまざまな芸術家たちの中でもとりわけ、気持ちの高ぶりとか感情の高揚の仕方というのがものすごく極端だった人なのです。それはもう歌詞にも現われていて、まさにシューマンの心を代弁していると思うんですが、「あなたを見た瞬間から、私は盲目になりました」という。こういう絶対的で瞬間的な感情というのは、まさにシューマンらしい部分だと思うのです。そこには本当に無条件の感情、その瞬間だけの特別な感情というのが見事に表されています。一瞬の体験なんだけれども、「それさえあれば後は何も要らない」と思わせるくらいの強さがある。それは一種の誘惑とエロスがないまぜになったような形であって、まさにシューマンらしい部分だと思います。私は、シューマンにそういう部分があったからこそ、クララはあんなにつらい目にあいながらも彼と一緒にいられたんだと思う。それは時折シューマンが見せる100%の献身と絶対的な愛情とか感情とかそういったもののおかげだった。それが、この歌曲集の中に本当はあるのであって、表面的なつまらなさに騙されてはいけません。

《リーダークライスop.39》の暗さをどうお考えになりますか。
ゲルネ 《リーダークライスop.39》でよく言われがちなのは、「結婚前に書いた、クララに対する愛情の贈り物」みたいな説明です。が、そういう関連で果たしてこの作品を捉えていいものかどうか…私は疑問です。もし、そういう解釈をしてしまうと、作品に一種の方向性を持たせることになってしまう。作品が本来持っていること以上の解釈を盛り込んでしまう、という危険性があるのです。私はそれよりも、この作品はもっと一つ一つを完結した作品として取り扱うべきであり、無理に曲同士をあえて絡み合わせ、関連性を持たせる必要はないと思います。
この歌曲集の不吉な暗さは、シューマン自身が持っている本質から来るものです。そもそもシューマンの作品で陽気で朗らかな作品ってありますか? すべての作品に何かしら影があったりとか、重苦しさとか暗さが漂っている。 たとえダイナミズムに溢れていて熱狂的で、ずっと長調で進行して、とても華やかに聴こえる曲であっても、シューマンの場合、華やかさとか称賛の声が叫び声のようになってしまうことさえある。だから彼の場合はどんなに熱狂的にプラスの方向に向いている気持ちのように思われても、それは最終的には対極にあるマイナスの重苦しい雰囲気の鏡に映った姿に他ならない。それが彼の最大の特徴だと思いますね。

ベルクの《4つの歌曲op.2》は、《ピアノ・ソナタop.1》にちょっと雰囲気が似ていて、淫靡な感じの曲ですね。
ゲルネ まさにそれが今回ベルクを選んだ理由です。
《4つの歌曲op.2》は、とてもシューマンに合うんです。どちらもある種のエロスが感じられて、少し官能的で、なおかつちょっと暗い影が差しているような曲ですから。《女の愛と生涯》にはちょっと性的な欲求みたいなもの、エロティックな部分も感じられますが、同じことがこのベルクの《4つの歌曲》にも見られるのです。「響きの官能性」とでもいいましょうか。ベルクの場合、必ずしも歌詞にぴったり寄り添っているということでも実はないんですね。それよりもベルクは自分がそのとき持っていた術を全部駆使して、響きを溶け合わせて冒頭の部分のように急降下するような始まり方で、ちょっとあくびをするような感じですよね。それによって何らかの気持ちや感情を説明しようとしている、そういった部分でとても興味深い作品だと思っています。

シューマンの歌曲のピアノは、ある特殊な要求を突きつけてくるものですから、誰とでもできるものではありません。

共演者のエマールについては?
ゲルネ 過去何度か共演していますが、いつもとても素晴らしい。シューマンの場合のピアノは、ある特殊な要求を突きつけてくるものですから、誰とでもできるものではありません。逆にこの人とはシューマンは絶対できないだろうな、と思う人の方が多いくらい。シューマンの世界をどう感じるかとか、イメージをどういう風に持つかというところで特殊なものを要求してくる作品なのです。神経質さが感じられるようなチラチラとたゆたうような感じというんでしょうか。そういったものは、もちろん技術がないとそもそも無理だし、それを当たり前のように成し遂げる、逆にちょっと距離があるくらい平然と悠々と成し遂げるというのは、決して誰にでもできることではありません。それは、あくまでも作品をきちんと理解した上でないと作り出せない独特の様式だと思う。エマールの場合は本当にそれが当たり前のようにできるんです。正直言って、いわゆるリート伴奏の専門家といわれているような人たちとシューマンをやると、たいていの場合、私は不満です。けれどもエマールの場合は本当に次元の拡がりみたいなもの、可能性が無限にあるということが感じられる。最高のパートナーですよ。

*曲目、演奏曲順、出演者等は、変更になる場合がございますのでご了承ください。
*就学前のお子様の同伴・入場はご遠慮ください。
*ネットオークション等での営利目的の転売はお断りします。


主催:東京オペラシティ文化財団
協賛:NTT都市開発株式会社

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