公演スケジュール

公演スケジュール

エッセイ

フィリップ・マヌリの音楽

川島素晴(作曲家)

一柳慧

フィリップ・マヌリは1952年生まれ、器楽書法からコンピュータを用いたライヴ・エレクトロニクス書法まで、あらゆる意味で現代フランス音楽を代表する作曲家である。

今回日本初演される《響きと怒り》はピエール・ブーレーズ75歳の記念に書かれ、ブーレーズの訃報の後、2016年に改訂された。このことが象徴するように、書法的にはブーレーズからの影響が色濃いが、徹底的に素材を拡張して数十分に及ぶ長大な構造をなす志向は、ブーレーズが《レポン》をそのような長大な作品として完成する以前からの傾向なので、一歩先んじているとも言える。また、ブーレーズがIRCAM(フランス国立音響音楽研究所)で実践したリアルタイム合成システム(今日の「Max」の前身)を、技術者ミラー・パケットらと協働して発展させる等、音楽的軌跡も全くの同時代を経てきた「同志」でもある。指揮活動で多忙なブーレーズに比し、次々と長大な作品をものするマヌリの創作活動は、先達への畏敬の念を払いつつ、ときにそれを凌駕するに至る巨大で強靭な世界を示す。

単なる繰り返しを忌避し、安易なコピーペーストは作曲に非ずとまで断言する「武満徹作曲賞」審査講評から窺える作曲書法への飽くなき探求心は、そのまま彼の創作姿勢に当て嵌まる。驚嘆すべきことは、いかに長大な作品であろうとも、全ての音に全く無駄が(わずかなホコリのようなものですら!)無いことだ。そこにその音が存在することの整合性を実感しながら音の遊戯を堪能する時間。ブーレーズの後年の作品がときに饒舌な響きによる高揚感に耽溺する傾向があるとしたら、マヌリのそれは常に冷静沈着だ。微視的には、音が向かう先の全てが綿密にコントロールされ、巨視的には、楽想の時間的な配列と変容が記憶の網目の中に精緻に体感される。マルコフ連鎖(諸所の事象の連鎖を確率論的に導く)を援用しつつ、今回の選曲に敢えてドビュッシーの編曲作品があることから判るように、その影響も強く受けている。曰く「ドビュッシーは形式的な連続性と非連続性とを、そして全体的なプランと細部の秩序とを、彼以前にはまったく知られていなかった諸々の手段を用いて両立させるのに成功した。」

この発言の引用元であり、彼の音楽観を垣間見るのに最適なのが、2017年に訳書が出版された『魅了されたニューロン ― 脳と音楽をめぐる対話』(法政大学出版局、笠羽映子訳)である。著名な神経生物学者ジャン=ピエール・シャンジュー、ブーレーズ、マヌリによる鼎談形式の本書は、シャンジューや晩年のブーレーズに負けず劣らぬ博覧強記ぶりを発揮して対話し、マヌリ自身の最新の見解も知ることができる。
と、ここまで読んで、いかにも堅物そう、というイメージを持たれる向きには、ブーレーズ80歳の記念に書かれた小品、《Portrait of the Artist as a Young Man》をお薦めしたい。ジェームス・ジョイスの同名小説からの題名だが、「ブーレーズの4×20歳」(つまり80歳にしてなお若者であるブーレーズ)に寄せた作品であり、何と《ウェストサイド物語》や《ワルキューレの騎行》等の引用がなされた「らしからぬ」作品である。(今回、武満徹作曲賞本選会の指揮者である阿部加奈子による演奏動画がYouTubeで鑑賞できるのでどうぞご覧あれ。)

そして忘れてならないのは、大の親日家であること。これまで、何度となく日本を訪れ、講演等の機会を得ているだけでなく、盟友、野平一郎をソリストとした《東京のためのパッサカリア》と題した協奏的作品があったり、前掲書の中でも「大阪の文楽」の魅力を語り、「京都のウグイスは推敲度の高い音楽作品に比肩できる」と称したり。そしてしばしば、「日本の聴衆における傾聴姿勢のすばらしさ」を絶賛している。そう、我々のその「傾聴力」をもってすると、彼の音楽の一部始終が明晰に脳髄を刺激し、その音楽的記述を緻密になぞっていけるはず。そうやって聴いたときの「マヌリ体験」は、他に代え難いものである。

東京オペラシティArts友の会会報誌「tree」Vol.132(2019年2月号)より

PAGE TOP