作家ステートメント
Artist’s Statement

石舞台古墳

展覧会に寄せて

この短い文は、成果を示すものではありません。作品のお披露目に先駆けて、目覚ましをセットしてまで文字に換えようと試みたものの、これは自分の声とは心地が違う。この文を信じないでください。とはいえこの世界を知るための器官として、もし自分にいくつかの触角が生えていたならば、少し柔に見えたとしても、その一つは言葉です。だから言葉で言葉以外のものを置き換えて、またそれを言葉以外の何かに戻してみたり、言葉を杖にしてフラフラと旅する喜びは少なからず知っているつもり、それでもただただ、考えることを重ねた結果、だんだんと忘れていくこともあるのです。言葉で得たものが靴底を厚くして、忘れたぶんだけ靴底が薄くなる。地べたの感触が近付いたり離れたりして、屈位から背伸び、背伸びから屈位、飛べない鳥が、飛べなさを表現するための踊りのよう。

石舞台古墳と神武天皇陵あるいは旧洞村(共に奈良県)のあたりから始まった今回の旅は、世界の中のいくつかの場所や言葉や歴史、世界の外のいくつかの場所や言葉や歴史を学んで忘れてまた学び(そしてまた忘れ)、ノマド的に移動を繰り返しながら多くの道連れを伴って、いくつかの局面で曲がり転がり捏ねられて踊り、明日には(人目に触れることで)次の段階に入ろうとしています。抑圧的な物語の入り口でもある閉じられた陵墓、美術館のコスプレをして古墳の石室で寝転ぶのは目立ちすぎる、忘れることと学ぶことの食物連鎖、繰り返し繰り返し、マニング、フーディング、マニング、フーディング、マニング、、、プロセスは永久機関となり、歯車の型を見失ったあたりから暴走して、キャンプ(抵抗のための形式とレクリエーション)、根っからの人工物(美術館)にこそ再野生化(矛盾)を促す、仮病のための病棟から知らない鳥の鳴き声が風砂に混ざって流れてくる。言葉の杖の下には、嘘の地層にサンドイッチされた実像がずいぶんと歪んだ形で結晶化している。使い慣れたその杖で掘り返し、飼い慣らせそうにない言葉を見つけてください。

☆→$°・×<々\:)-,€☆*°%>〆!!!!!

空気を違和感で震わせるなど、相変わらずのびっくり箱的手法にうんざり(実際には箱の中身は誤魔化されている)。だけど二回目のアラームは二度寝の合図。次に起きたらこの度の作品について、学び始めようと思います。

泉太郎

⏤立つ人、座る人、横になるかもしれない人へ⏤

a.1
地球上に、「未踏の地」などあるのかという問いに、ある意味ではYesと答えることもできるのだけれど、人間が我慢して、「未踏の地」を残そうとしない限り、すぐにそこも足跡で埋まる。ある古墳の石室は、余人の侵入を拒むと同時に、外部の自然環境と内部に埋葬された人の身体を隔てるための空間であった。それも建造当時の話。千年、千五百年以上の時を経た今に至り、ついに内殻だったはずのそれは姿をあらわし、ただ風景の中に置かれている。つまり土に埋まっていた石室は、今や地表に露出して、一種のモニュメントとして人々の来訪、観光さえも受け入れる資源として現代に身を晒しているのだ。石組みの一つ一つを見ていくと、出入り口(元々は閉じられて存在しないはずのものだが)に近付くにつれて、いかにも古墳の一部としての石組みから現代的な工法で並べられた石垣に移り変わるのがわかる。訪ねてくる人への備えとして、階段状に配置されてもいる。このようなタイプの遺跡がある一方で、「未踏」を取り戻した古墳もまた存在するのだ。古墳が観光資源として、来客を歓迎する状態に至る条件の一つに、今はその被葬者の一族が、明確には確認されていない、あるいはある地域の未踏を装ってまで、その権威を必ず保持しないといけないような、封建的であれ象徴的であれ、そのような位置にいない、あるいは望んでいないことが挙げられるだろう。先述した、未踏を取り戻した(作り出した)古墳について、これは端的に言うと宮内庁が管理する古墳類、陵(ミササギ)、御陵と呼ばれる歴代天皇の陵墓であったり、皇室関係の遺跡である。これらの場は一般の立ち入りを禁じているのはもちろん、調査までもが制限されているものだから、被葬者についてはあくまで言い伝えや物語を元に推定されて、そのままいつの間にやら陵墓として祀られて立ち入り禁止、中にはそもそも皇室関係者が葬られているかもしれないし、いないかもしれない、そのようなどっち付かずの設定のまま、「参考地」と呼ばれて、立ち入りを禁じられている墳墓も多い。もちろんあらゆる可能性を念頭に置くこと自体は研究、検証を進めるに当たり必要な姿勢だろう。ただ、「どちらかわからない」状態のままで調査を拒んでいるのが参考地であるのだから、そこはどうしてもずっと参考地のままなのだ。

(a.2へ続く)



b.1
また電車を乗り過ごしたようだ。この車両のドア上部に取り付けられたモニターでは、何かを買わせるための映像が粘るように執拗に(しかしそうは見えないように)流れていて、乗り降り乗り換えに必要な情報は秘宝のようにガードされて、探索せねば見つからない場所に隠されているようだ。見えていることは目隠しに過ぎない、サービスの押し付けに慣れていると道に迷うぞ、という教訓を得て、スムーズに速度を緩めつつある床に靴底を押し当てて立ち上がってみた瞬間に、自分が座っていたことに気付いた。

(b.2へ続く)



a.2
さて、ここからはある森について記したい。その森は、ある山の麓にある。元々山頂には神社があったのだが、今は山裾に下ろされて、歴代宮司の心中は別にして、最も権威的な陵墓を取り囲む守護者の一つのようにも見える。この山の麓の参道には、巨人の近衛兵のように立派な杉の木が立ち並び、足元には隅々まで小石が敷き詰められていて、張り詰めた厳かさで進軍を阻む。なるほど、初代天皇の墳墓ともなると、そのようなものか、と説得力に気圧される。しかし、2600年以上前に活動していたとされる初代天皇のこの陵墓、実際にここが神域となり、厳かなる説得のシステムが構築されたのが近代だという奇妙な事実がこの場所を、人の世界の権威的な力が定めた禁足地とそれに伴う再自然化、さらには物語上の生に対する死後の神格化が作り出したディストピアでありつつユートピアであるという、捻れた聖地としている。当の初代天皇とされる神武天皇は、言ってしまえば物語上の人物と言える。物語上の人物が眠る墓を作らねばならなかった理由は様々に考察出来得るが、最高位の血統とされるもののパワーを未だに維持するための新設された神殿、そしてそのあたりの山中に居住していた民は、聖地を見下ろして暮らすことの不都合から、あるいは畏れから、移住を余儀なくされた、あるいは納得の上で移住した、諸説あるものの、200戸ほどの村が山から降りて移動した、という出来事は事実である。当地を校区とする小学校では同和教育の一環として、その村の跡地の、今でも立ち入り可能なあたりに落ちている茶碗の欠片を拾いに行くこともあった。また、村の人々が庭に植えていたという棕櫚が今も自生し、先述の杉を超えるほどの高さにまで身を伸ばしているのだ。杉の巨兵達の足元を抜けて、少し入ればもはやジャングルと言ってよいほどの密度で植物が重なり合い、奥のほうに聳える巨大な棕櫚達のあたりまでは、足を踏み入れることができない。禁足地の境目には、ロープが張られており、宮内庁の管轄である旨が記されている。

(a.3へ続く)



c.1
私は今回、今まで形にし得なかった方法で、状況の複雑さについて、内側にいるものから外側にいる人への投げかけとは別の形で、今のところの言い方としては探検的な方法であり、かついくつかの立ち位置の位相を交換、裏返しにする形で溶け込む、いや、溶け込みきれなさ、入れなさ、も含めて、現在進行形の落ち着かなさのドキュメントとしての、場の実現を試みた。言葉が足りることは無いし、この文が蚊の羽音ほどにも役に立たないということを前提として、敢えて推敲により滑らかにする以前の文のまま、ここに記します。私達が生きている世界の中にも、SFと見間違う、それほどに不条理で矛盾に満ちた、不可思議で不可視で不可知な状況があり得ること、それをただリサーチの名目でビデオカメラを抱えて追いかけてみたところで、そして映像作品のような安定したメディアに落とし込んだところで、この根深い興味については、どうしても足りません。これはある方向から見れば神域についての批評、隠された政治的な問題の漏出であり、ある方向から見ればカルトでオカルト、ある方向から見れば極端で複雑な飛躍、ある方向から見れば、いくつかの状態の間に浮遊するように存在することについての冒険に巻き込んでしまう迷惑な導入であり、ただ、どれにしたって正しく当てはまる型を持たないこと、これをどう捉えるか、切実にわからなさに向き合うための機関としてのアートに、私自身が惹かれてきた理由は、自分の立つ場所の設定も含めた、世の中の決まりや成り立ちへの疑義であるとともに強烈な興味であり、私自身が必要とする表現を、ここに置く以外にはありません。

(c2へ続く)



a.3
神武天皇陵を見下ろすように鎮座する畝傍山、登山道が存在し、入山は可能である。古くは畝火山と記され、山上には畝火山口神社の跡が残る。また、登山道の脇には斜面に向かって横方向に掘られた井戸の跡があり、それが機能していた頃の住人達が一人残らず去った後も、落ち葉と土の堆積の上に、ゆったりと張り続けている水の層を確認できた。天井はアーチ状に形成されており、頑丈そうな見た目からして防空壕だと勘違いしている人もたまにいるのだが、山の斜面に対して側面下部方向に向かって空間を作り水を溜める、そんな井戸作りの行程を考えただけでも、平地であれば当たり前に備わっているはずのインフラを整えることにも工夫を凝らし、どうにか日常を作り上げていた往時の様子が想像できるというもの。多くの人々の間で、一定地域への定住が当たり前の生活の基礎とされた近現代社会において、ある地域が一定の期間のうちに丸ごと移動するという状況は、原発事業と事故に伴う地域全体の移動、ダム建設による町村ごとの移住など、国家レベルの権力の介入無しにはあり得ないことではないか。この山や森で起こった出来事の構図は、国家というものの形を整えうとした時に、骨組みはさておき、最も先端のツノの形からまずは造形せねばならない、あるいは臍の緒の元の元を後付けで証明してみせる、一本の頑丈な骨の在処が行方不明では、この神域の存在自体が、骨抜きの体を象徴してしまう。

(a.4へ続く)



d.1
秋口にカメラマンのOさんと駅で待ち合わせをして、ある古墳に向かう。ここの石室には空洞しか残されておらず、だからこそ来客が新しい空気を伴って出たり入ったりして、先人である墓荒らしよりも全くありきたりな来客として受け入れられている(ように見える)。この石室に主はいない。昔はこの石積みの上に登って遊んだものだよ、と父より年長に見える人に話しかけられる。たまに、ここはお墓でしょ、入りたくないわよ、と入室を拒否して目を背け、背を向けて近付かない人がいる。禁忌を犯すように湿った石室に染み込んだなにかを迎えに行った友人に、お祓いを勧めるほどではないにせよ、その勇気を讃えるというよりは無意識的にせよ信仰に向き合う姿勢の違いからなのか、呆れ顔に近い。それにしても分厚い。何の話かといえば、この墓の内部と外部を隔てるつもりで作られたこの石組みの壁の話で、隙間を塞ぐように小さめの岩、さらにその小さな岩と岩の間に、岩とは違う質のものがチラホラと。祈りか贖罪か、あるいは何かしら知らない生き物が拾い集めたコレクションなのか、小銭が突き刺さったり乗っかっていたり、元のキラキラを失って、古代の石室に比べると過ごした雨露または風の影響は少ないものの、一昔前の風合い程度には落ち着いて馴染んでいる。ジンジンと染み入るように痛そうじゃないか、岩に突き刺さっていた一円玉を抜いてやろうかと一瞬思ったのは去年にやった結石の手術のせいか。ここにいると、石室に消化されて溶けてしまいそう、行方不明になりそう。。。クラクラしてグニャグニャしてきた。眩暈を収めるために目を閉じる。何やら得体の知れない鳥の鳴き声が聞こえたけれどまだ開けない。まだ開ける時ではない、主を失った石室だって、埋もれたり露出したり、諸々の来客に内臓を披露しながらもあそこに残ってきたんだ、、、と、我慢。そのうち強靭なタイプの蚊の気配、腕に食い付かれたのがわかる、一つ、二つ、三つめと食われた頃にいつの間にか目を開いていた。なぜ僕は森の中にいるのだろう。この森には何かがいる、いない、、、?、、、、、

(d.2へ続く)



b.2
この文を書いていると、その辺に漂っていたはずの時間が車内の通気口に吸い込まれて消えていき、代わりに足元のあたりに熱風が吐き出されて溜まり、上半身と下半身では別々のシーズンを過ごしているようでチグハグとする。季節があやふやになるくらいなのだから今何時?と聞かれたところで知りません。そのうち到達すべき駅の名前がわからなくなるほどに、僕の意識は引っこ抜かれてまん丸く丸められて、有名な外野手の放り投げる球の軌跡のように、華麗な曲線を、飛行機雲より向こうの空に残しながら、いくつかの駅の前を盗塁した上にコールド勝ちとも負けとも言えないような状況に僕を導いてくれた。この時間にありがとう、と呟きながら、一塁、二塁、三塁からホームペースに辿り着くはずがまた一塁を踏んで二塁、三類、今何時?。今頃たぶん、あいつの文はまだかとあの人が、あそこでずっと待ちぼうけ、しかし、伸び伸び、延び延び、と文を書くぶんには、ここがどこだって構わないのだ。一方向に移動しているのは車両だけで、私の頭はどこにでもいける、操縦をあなたに代わってもよいですが、ハンドルの形を色々と整形してみるので、触り心地が気に入ったら教えてください。

(b.3へ続く)



d.2
などというホラー系ジュブナイルな展開はなかったのだけれど、僕とカメラマンのOさんは(実際には1時間ほどかけて)近くの森に移動していた。近くなのに1時間?などと引っかかる人はジュブナイルな本で心を洗ってください、そういえば先程立ち寄ったファミリーレストランの消毒液がやけに薄かったね、などと無駄話をしながら参道の砂利を切り分けて撮影機材を引き摺り歩き、未開ではないはずだけれど封印された森の入り口に立つ。棕櫚の木が妙に生々しく、青い空を求めるように、まだまだ高く伸ばしていこうとする意志が伝わってくるくらいに伸びていた。木と木の間にはあまりにもたくましい蜘蛛の巣が、陽の光の線で出来たドリームキャッチャーのように、キラキラと揺れている。様々なものが層を重ねて織り込まれた複雑な壁のように見えて、木に擬態するかのようにただ立っているだけの時間をしばらく過ごしてしまっていたのだけれど、しかし、この森の気配、人が住んでいた、人の場所だ、と感じることの「異常」次元的な捩れ、僕らがここにやってきた理由を思い出した。

(d.3へ続く)



b.3
旅は迷惑にも多くの道連れを伴って始まってしまった。この複雑な旅のプロセスを、情報どうしの友情に準えて、拙文のタイトルを「友達に顕微鏡を贈る」と名付けてみたい。まずは顕微鏡の使い方から説明します、と言いたいところだけれど、一緒に一から勉強するのもよいでしょうか。そしてその上で、第一章として「帰郷の秘境」を構想し始めたところで、僕は携帯電話をどこかに忘れてきたらしい。それから数週間(厳密には何日過ぎたか指折り数えてもいない)、親切にもどなたかに届けられて、しばらく保管庫で眠っていたせいで、充電コードに繋いでから目を覚ますのに、1時間近く枕元で待つことになった。
ついでに、今まで同じ携帯電話を、忘れた場所を並べておきます。

・電車の座席(太ももの下に置いて手離す癖があるため、そのまま座席と感触的に同化してしまい、そのまま置き去りにしました。このパターンは複数回あります)

・壁の中(展示設営作業中に、美術館の壁の中に仕込んだシステムの調整のために入ることがあります。壁の中は暗く、明かりが必要なため、携帯電話のライトを活用し、そのまま放置してしまいました)

・リュックサックの側面のポケット(どこかに忘れたと思い、数日間探して諦めかけていたころに、出てきました。物としての携帯電話を忘れたのではなく、そこに入れたことを忘れました)

・車の座席の下(友人の車です。座席に深めに座り込むのが好きなため、ポケットからすり落ちた可能性と、電車の座席と同じパターンで、太ももの下に敷いていてそのまま転げ落ちた可能性も考えられます)

・男性用トイレの個室(ズボンに動きがあるため、何かの拍子に便器に落下することを恐れるあまり、一旦ポケットから出して乗せられそうな場所に置いてそのまま置き去りになりました)

・展示室(展示作業中に、地面に座って作業することが多い場合、足やお尻に携帯電話の感触を感じるのが邪魔に思い、一旦ポケットから出して近くに置きます。展示物と混ざり視覚的に見失ってしまう場合も含めて、複数回経験しました)

以上のように、僕の携帯電話は忘れられることを度々経験しており、忘れられることについてはベテランと言える。

(b.4へ続く)



c.2
神武天皇陵については、実のところ作品のためにリサーチをするようなことではなく、私が子供時代を過ごした場所で、ごく自然に、いやあまりに不自然に、実体験というにはあまりに奇妙な浮遊する経験として、左右に引き裂かれた場所の宿命を課されたその場所について、もっともっとその複雑さとねじれのままに、誰しもが傍観者とは違う形で巻き込まれてしまう場を作ること、それを目指さねばなりませんでした。バックグラウンドを説明し、それをプレゼン的アートの材料とすることには、強い抵抗を覚えています。たとえば、自分自身が暮らす地域の付近に、先述の移住政策のようなことに根差した差別を受けてきた地域があったとして、ある距離感では自分自身がその対象ではないとされていたとしても、一歩引いた別の領域の設定では、充分にその対象になり得ることを経験するなどした場合、自分自身の出自は、キャラクター設定のように分類できるようなものではないと、はっきりと感じるものです。その理由から、自分自身のストーリーと設定をざっくりと整えて、見せるようなことはできません。日本人であること、人間であること、さえもです。私が体験してきたことと、隠されてきた見えざるねじれ、わかるというゴールを目指すためのプロセスではなく、わからなさに向き合い続けるためのプロセスを構築すること、これが場合によってはプラスの意味でもマイナスの意味でも多大なるストレスを伴う、ただ、ストレスはサービスと違って、迷うための冒険には役立つ杖にもなり得ると考えます、そして私自身がこのような活動に取り組む理由については、それらが分かち難く混ざり合った末の、甘い辛いが複雑に絡み合ってねじれたおかしな丘の上に寝転ぶサボり気味の脳に聞いておくつもりです。

(c.3に続く)



b.4
ベテランとは経験が豊富な人のことなのだろうけれど、豊富というのはある一定の行為の積み重ねのことなのか、あるいは多種多様なバリエーションのことなのか。経験と未経験、体験と未体験について考えてみたい。誰かが未経験、未体験の場合には、経験、体験をなんとしても達成すべきタスクのような形で、まるで目に見える形を伴っているかのように神棚に置かれてしまう。では、「経験した」とは、どのような場合に言えるのか。たとえば展覧会を観覧したとして、それは展覧会を経験したと言えるのだろうか。展覧会を経験したものは、経験をシェアできるとされる方式に変換するために、文字を扱うことになる。その文字を読んだ人に、伝達されるそれは、一般には感想とされるが、経験をあえて文字化すること自体は展覧会の経験に含まれているのだろうか。では、未経験を言葉に変換することは不可能なのだろうか。仮に出来たとして、できない、できなかった、やらない、やらなかった、で足りるのだろうか。少なくとも僕は、死を経験したことはない。死が経験可能なものなのかもわからない。先日のある対談の際に、相手のかたに質問し忘れたこと、たとえばゾンビは経験なのかということ。代表的なゾンビ映画などでは、ゾンビがある経験を経て学習する様子が描かれている場合もあるし、ゾンビとなる前の、生前の生活のルーティンを繰り返すゾンビもいて、後者は経験が判断に影響を与えるのではなく、脊髄反射的にガワとしての経験が残された場合だと思う。天国や地獄や魂の在り方、死後の設定が語られるのは、死んだ後にも生前の経験が活用された上で、さらに経験を重ねることができる、無限に経験することが終わらない世界を人が望んでいることを示しており、それが生ということだと仮定して、だとしたら生とは未経験なものが残されていることが大前提だろう。映画を早送りで見て「経験」するよりは、中断して別の映画を始めて、また前の映画に戻ってもよいし、戻らなくてもよいかもしれない。

(b5へ続く)



c.3
先日、私が関係しているギャラリーの人と話した時に、あなたのわけのわからない日本語を英訳するのは、本当に大変な仕事です、、、と言われたのですが、まさに、と思いました。私達は何かを理解しようとする時に、対象を一旦置き換えようとする。たとえば知っていることに置き換えて最適な(一番近い)事象に当てはめて、これはアレだ(アレに近い)と納得して、考える時間を節約する。その場合、箸のように上手いこと、自然に扱えていると思い込んでいる言葉が介在する。言葉で事象を掴んで小皿に移し、小皿にあったものをそちらに移す。しかしどうでしょう、全く同じ手の形の人は存在しないのだから、箸の扱いには千差と言っても足りないくらいに違いがあるはずです。ギャラリーの人が私に言った、「わけのわからない言葉」も日本語には違いないわけですから。言葉を使った交換が単なるざっくりとした目安(過程の一断面)でしかないことを見失わせるのは、言葉という道具に対する疑いの無さでしょう。私達が一人一人の文化を持ち、一人一人の言語を持っているとしたら。私の日本語とあなたの日本語は別で、私達はわけのわからなさを見過ごしながら、わかることを前提に過ごしています。「キャラクター設定のような分類」も、言葉で表現されることです。私は男性である、と表現することと、私が生物学的な意味で、男性としての身体を持っていることは同じではありません。グラデーションを意識しながら使うには、言葉と人の関係の歴史は短かすぎる。「解決」にはスピードが求められます。人類が発見し続けてきたことの多くは、端折りの技術なのかもしれない。それが、「わかること」をゴールとしたプロセスと言える。わからないことについてのプロセスは、わからないものはわからないままでよいじゃないか、という諦念に限らないのは、ここにプロセスという単語を挟んでいることからもわかります。ただ、わからないことに対して過程を組み立て続けるには、非常にパワーが必要で、実際行動と想像の間で考え、一人であれ、複数人であれ、言語化、言葉でのやり取りも言葉とのやり取りも欠かせません。「言葉でのやり取り」と「言葉とのやり取り」を分けて書いたのは、言葉は人から放たれた瞬間に一人歩きし、自立する、たとえばSNSの連続性を見るに、自立する言葉から目を逸らし抗うために、次から次へと続けなければならない。けれど、言葉自体はそれでも一人歩きをやめるわけがない、故に、本人のそのような抵抗などお構いなしで他者に届き、時には心の芯にまで突き刺さり、根深いダメージを残すこととなる。そんなことは、事故と言って済ませてよいものではないのだが、言葉じたいが強固な建築資材のようなものなので、組み立てきれない言葉を残し続けるのならば、それはオブジェクトとして空間に残り続けて、投げたボール(考え)を跳ね返す壁にもなります。言葉をオブジェクトとして配置しておくことと、やり取りそのものである会話は別なので分けて書きました。いずれにせよ、人間が発明した便利な道具を便利に使い過ぎないことで、端折られているものの一つ一つまでにも執心してプロセスの材とする、さらには忘れることを利用する、忘れることは人間が不便利に使える機能の一つですが、眠るや座る(休む)と共に、社会システムへの抵抗の延長線上にある状態、展覧会も、忘れたり休んでいては成り立たないかもしれない。しかし私はあなたに、座るよう、何度かお願いすることになるかもしれません。世界に転がる凹凸の、凸の面だけではなく、凹の面も使おうとするこの貧乏性は、展覧会のシステムには不向きです。

(c4に続く)



e.1
世界の何もかもを投げ出すことがあるとすれば、どうにも近づけない数字でできたネズミ返しのせいなのだろうけれど、まったく一人でそれを見上げてみた時に、やはり足元が冷え切っていることも覚えているのだと思う。そんな足先では背伸びもままならず、これがこの場所でこれをやるために必要な運動だと言い聞かせて膝から上も下も両方とも酷使して伸びる。こんな世知辛い体操があるだろうか。そしてこんな文であってもあなたが潜る展覧会の入り口より先にある風景を引っ張り出すために僕らがやってきた道のりの泥臭さは充分に伝わると思う。ここに記す「僕ら」というところには、立派な灯台の管理者や、しつけに厳しい顔も見知らぬお祖父様のさらにお祖父様のような建造物の主は含まれておらず、彼らは観客席の裏に潜り込んで鈍い光を目から発光しているに過ぎなかった。僕らは客観されている。

(b.5に続く)

泉太郎