武満徹作曲賞

審査員紹介

1997年度審査員 アンリ・デュティユー(フランス) Henri Dutilleux (France)
© 服部英夫

プロフィール

現代フランスを代表すると同時に、20世紀を代表する作曲家のひとり。1916年生まれ。ドラクロワやコロの友人であった石版画家コンスタン・デュティユーを先祖に持ち、また母方の親戚にはルベ音楽院の院長をつとめたジュリアン・コスルがいる。パリ音楽院で作曲をアンリ・ビュセールに師事。1938年ローマ大賞を受賞。1942年にオペラ座の合唱指揮者に就任し、1945年から1963年まではフランス放送局の音楽プロデューサーをつとめた。1951年の交響曲第1番で国際的な名声を獲得。1961年から1970年まではパリのエコール・ノルマル音楽院作曲科教授を、1970年から翌年にかけてパリ音楽院の教授をそれぞれつとめた。1967年国家音楽大賞受賞。1994年高松宮殿下記念世界文化賞受賞。代表作に交響曲第1番、同第2番《ル・ドゥーブル》、オーケストラのための《メタボール》、チェロ協奏曲《はるかな遠い国》、弦楽四重奏曲《夜はかくのごとく》、24弦楽器、ツィンバロンと打楽器のための《瞬間の神秘》、ヴァイオリン協奏曲《夢の木》などがある。
2013年、パリにて死去。

アンリ・デュティユ逝去(1916–2013)|ショット・ミュージック

メッセージ

武満徹の死に際して私が受けた衝撃は、世界中の多くの音楽家たちが等しく分け合ったはずのものです。彼は、はるか前から、それだけの高みにいたからです。
彼の作品の中で私が好きなのは、まず、彼の非合理的な側面です。武満は、日本の伝統的な音楽と彼固有の音楽とをむすぶ絆をつくりだすことに成功していますが、それと同時に、テクノロジーがもたらす発見をとりいれて、自分自身の根幹は常に維持しながら、自らの音楽語法を豊かにするすべを心得ていました。彼が、西欧で行われてきた実験的な研究に身を浸しつつも、あれほど深いところで日本の芸術家であり続けたことに、私はほんとうに感嘆しています。
私は、この15年来何度か彼にお会いしましたが、この1997年、新しい音楽の創造を刺激するために彼が考えた非常にユニークな企てが実施される機会に、再会することになっていました。「ネクスト・ミレニアム作曲賞」*と名付けられたこの企ての考え方は、ただ一人の作曲家に作品の選定を委ねるというもので、選択はその作曲家だけに依存しているのです。このようにして取り上げられた作品はのちに公開の場で演奏されますが、それと前後して、この一人きりの審査員の作品による演奏会も開かれます。私は、今年から始まり、1998年、1999年、リゲティ、ベリオと続くこの企画に加わることを引き受けました。武満の逝去にもかかわらず、彼の友人たち、彼を敬愛する人たちが、このプロジェクトの実行をあきらめずに続けることにたいして、私は敬意を表すのみです。

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