6+ ANTWERP FASHION アントワープ・ファッション展

オープニングトーク「アントワープを語る」

第二部
アカデミーのカリキュラム

ゲスト:坂部三樹郎、中章、中里唯馬
コーディネーター:成実弘至(京都造形芸術大学准教授)

成実:第二部を始めさせて頂きます。第一部ではヒェールト・ブリュロートさんが、アントワープ・ファッションに日本のデザイナーがどのような影響を与えたかという話をされましたが、このセッションではアントワープ王立アカデミーで勉強されて日本でファッション・デザイナーとして活動を始められている卒業生の方々に実体験を語っていただきます。会場にいらしている方はアントワープ王立アカデミーのことはご存知かと思います。アントワープ・ファッションの一つの原動力である美術大学ですね。アントワープのデザイナーの多くがこのアカデミーで勉強している名門校です。大変競争の激しい学校で、聞くところによると50〜60人ぐらいの一年生が入るのですが、毎年半分の学生が脱落して、最終的に残るのは10人前後、10人以下になるそうです。そのせいか卒業生は現在のファッション・デザインを引っ張るような優秀な人材揃いです。今日来て頂いた三人は最近までアカデミーで学ばれていたので、アカデミーの実態をよくご存じでしょう。私の方から質問を振るという形で進めます。坂部さんは2002年にアントワープ王立アカデミーに入学されています。入学試験はやっぱり難しいのでしょうか?

坂部三樹郎

坂部:そうですね。僕が実際何がきっかけで受かったのかまではわかりませんが、いちばん大事に思ったのは、教えてくださる先生と一対一のインタビューです。そこで先生が、自分がこれから教えていく、50人、60人の少数の生徒になるかも知れない受験生に自分が教えるという気持ちですごく熱心に質問してくださるし、こっちの答えもうやむやなことを言うより間違っても良いから自分の言葉でどれだけ言えるかということを聞かれた気がして、そこはすごく印象的な試験でした。

成実:坂部さんはもともと大学の工学部で学んでいたということで、ファッションのことはあまりご存知なかったのではないかと思いますが。

坂部:はい。全然知らなくて普通に日本に住んでいたので、雑誌を見たり自分の着る服に興味はあったのですが、勉強はしたことがなかったです。ただ工学部にいたので何か自分を表現できることをしたいという気持ちはすごく強くあって、それがきっかけで海外に行って勉強しようと思いました。

成実:もしかしたらファッションではない勉強をしていたという、ほかの学生と違う素養が評価されたのかも知れませんね。

坂部:日本に住んでいて工学部にいたということもあって、いろいろな面での決まりや規制が多かったし、日本の大学生はいろいろ楽しんだりするのですけれど、やっぱりその中でどこか本気で楽しめない自分もいたので、それが四年間の大学時代に少しずつ積もって何か自分でしっかり考え始めて、やっぱり自分がやりたいことをやるべきだなと思って海外に行きました。

成実:最初にポートフォリオなどを持って行ったのですか?

坂部:はい。大学卒業後、パリのエスモードで学び、中退しちゃったのですけど、途中まで勉強していた作品がありまして、それをもとにポートフォリオとして持って行きました。それが良かったかどうかはわかりません。それよりやっぱり僕の中で試験はインタビューがきっかけになったのかなと思います。

成実:中さんに同じ質問をしたいのですが、坂部さんと同じ年に入学をされています。今から考えると何が決め手で合格したと思われますか?

中:私は入学後に、そのテストの評価みたいなものを紙で見ることができたのですけれど、僕のポートフォリオは評価外という、ABCDのEだったかなと思い出します。僕も何が理由で入ったかという明確なものはないんですけど、やはり坂部が話していたように、その教員の方がなぜここじゃないといけないのか、皆さん聞かれると思うのですけど、ここで何を表現して何をしていきたいのかという明確なヴイジョンみたいなものを提示するように言われて、そこで、私がいろいろ先生と話していた時に、そこで先生方が深く感じてくださったのか、何かリンクしたものがあったのかという、それぐらいしか印象にはないですね。

成実:中さんの人柄、人間的な魅力が評価されたのでしょうか(笑)。

中:アジアでは謙虚がすごく美徳とされるのですけれど、私その前にアメリカにも住んでいたのですけれど、欧米では自分が、例えば審査員と違う意見を持っていても、それを明確にそれは違うと思う、なぜそれが違うかということを明確に表現しなければならないのですね。なので、人柄というよりも、自分が伝えたいことをはっきりと伝えたことはポジティブに映ったのではないかなと思いますけど。

成実:それでは中里さん、中里さんは三人の中で一番若くて、去年卒業されたばかりのほやほやの方です。ファッション界のエリート校ですが、どういう雰囲気を感じられましたか?やっぱりピリピリするような緊張感はあるのでしょうか?

中里唯馬

中里:緊張感はやはり常にあるのですけれども、それ以上に生徒自身、すごく個性があって、それから皆思い思いに自己表現をするのが上手で、緊張感はもちろんあるのですけれども、それなりに、皆自分を出して来るっていう環境で、ただピリピリしているというよりはある意味自由もそこにあって、楽しいのと両方ですね。緊張感と、緊張感の中にやっぱり刺激し合えるような環境ができていると思います。

成実:いろいろな国の人がいるわけですよね。

中里:はい。

成実:ヨーロッパ以外に、どういう国の人がいらっしゃるのですか?

中里:最近ですと韓国ですとか、中国も含めたアジア、インドネシアとかタイからも生徒が来ています。それからもちろんヨーロッパの国々、イタリアですとか、ドイツ、フランスはもちろん、各国から来ていますし、それから北欧の方からも来ている、本当に世界中から来ています。

成実:同級生の仲は良いのですか?

中里:(笑)いいですね、はい。坂部さん、どうですか?

坂部:(笑)

中里:同じ国同士の人で最初固まっているのですけれど、徐々にほぐれて来るといろいろとコミュニケーションできるようになっていきます。はい。

成実:なるほどわかりました。坂部さんにお伺いしたいのですが、授業の内容、授業というのは一年生でシャツを作って、四年生が卒業制作といった情報は雑誌などに出ているのですが、実際にその授業を受けられて、非常にびっくりしたこととか、面喰ったこととか、何かありますか。

坂部:僕はまず学校に入るまではデザインというものを人から習うという感覚が全くわからなかったのですね。やっぱり技術とか知識を得るということはなんとなくわかっていたのですけど、デザイン自体を人から習えるものかという疑問は入ってからも大きかったのですよ。でもそこの学校で一年生から四年生まで過ごし、やっぱりしっかりデザインも学べますし、それはなぜかといったら、やっぱりすごく人数が少ない中で先生と一対一で真剣にデザインを考えていくというところがまず原点にあって、学生と先生との一対一の指導の中でどうやって自分の世界を見つけていくかっていうことを話し合うのもまず原点にあるのですよ。だから根本は自分らしいものをどう見つけられるかということも習って、それプラス歴史衣装であったり民族衣装であったりという知識を得ながら、そういうものと混ぜて自分の世界を見つけることによって、デザインはしっかりとした現在にも通ずるものになっていくということを一年生から四年生の間に習えたということは、僕の中で何よりも驚いたことですかね。

成実:おそらく会場にはデザインの学生さんも沢山いらっしゃると思うのですが、自分の世界を追求すると言葉で言うのは簡単ですけれど、なかなかそういうものを見つけるのって難しいのではないかなと思います。

坂部:そうですね。すごく難しいのですけど、ただ僕の中ではアントワープ自体が日本と何よりも違って、情報も少ないし、面白いテレビもあんまり放映してないし、得られる情報がそんなにないのですよ。エンターテインメント性もあまりないし、小さな町なので、むしろ自分と向き合う機会がいろいろなところに転がっているのですよ。例えば日本にいたら、毎日テレビを見ていたら過ごせてしまいますし、ゲームをやっていたら過ごせてしまうとか、日常の生活で自分を見つめ直す機会が必要ないと思うのですね。だからそういう面では自分を見つめ直すってことがしやすい国でしたね。

成実:坂部さんにとって、自分を見つめ直した時に見えてきたものって、例えばどういうことなのでしょうか?

坂部:見えてきたものというのは、やはり自分の中で一生懸命デザインを考えたりとか、今自分に何が必要だと思うかということを考えているうちに、どこかで間接的に関わって来るのはやはり日本の自分が育ってきた環境であったり、自分が日本人であることがデザインに少しは出てきたりということは、自分で意識しなくてもどこかで出て来ることかなとは思いました。

成実:中さんにも同じ質問をしたいのですが、中さんは、アメリカに行かれているわけですね。その流れでアントワープにいらっしゃったわけですが、どういうところが印象に残っていらっしゃいますか?

中:そうですね。今中里唯馬君のお話にもあったのですけど、僕の中では学校生活を振り返るとやっぱりずっと緊張していたのだということがあったのですね。それで一定の緊張感というのは、宿題の量というのはそんなに多くないのですね。ただ求められるクオリティがすごく高いので、また、同級生の作り上げて来るもののクオリティが本当にすごく高いのですね。なので、いい緊張感の中で、本当に自分と真剣に向き合って、そして先生もその生徒から最大限のものを引っ張り出そうとするので、OKを出すことはまずしないというか、良いものからさらに良いもの、成熟してない状態であれば成熟するように、先生もすごく緊張感を持った、ピリピリしていたと言うとちょっとおかしいですけれども、そういう、マンツーマンでデザインへ教員と生徒が真剣に向き合うという、それがすごく自分にとって新鮮だったというか、まぁいつもびくびくしていたのですけれども。

成実:結構否定されたりするのですか? 持って行ったら、こんなのダメ、みたいな。

中:もう、ほとんどそうですね。ただ、良いところはきちっとこれは良い素晴らしい、でも良くないものはもう最初の3ページが良くないと、残り20ページデザインしても、ペラペラペラっとしか見てもらえなかったりします。明確な、これはこう直したらこうなるのですよ、そういう答えは絶対に与えてもらえないですね。それは自分が必ず自分らしく見つけ出していかなくちゃいけないので、常に先生から課題を与えられて、それをどう自分らしくクリアしていくかということの繰り返し、繰り返しの中で、自分らしさというものを少しずつ築いていくのですね。

成実:それはものすごく厳しいですね。

中:少しずつ慣れては来るのですけどね(笑)。

成実:日本の教育ではそこまで否定されませんものね。

中:そうですね。ただ、教員も自分の好みでデザインを良し悪しとするのではなくて、経歴がどうあるのかは私も深くは知らないのですけれども、豊富な知識と経験から、どうやって、生徒からデザインを引き出したら良いかという、そういう経験と力をそれぞれの教員が持っています。ですから一年生で全然目立たなかった生徒が二年生、三年生になると、メキメキと化けるように成長して来るというのには、すごく感心しました。

成実:ありがとうございます。中里さんは去年までアカデミーにいらっしゃいましたが。

中里:はい。

成実:中里さんが、感じられた授業というのも、今お話にあったような感じですか?

中里:そうですね。本当に何もない状態で入学してしまったので、ようやく生きた心地がしたのは、三年ぐらいたって、ようやく学校に行ってまともに先生と会話ができるようになってからで。時間が相当かかったし、まず実は最初自分はまったく言葉を喋ることができなかったのですね。それで最初は透明人間扱いというか、まったく見てもらえないのですね。それで、やっぱり一対一で授業を進めていくので、会話ができないともうそこで終わってしまうのですね。絵で伝えようといろいろしたのですが、やっぱり見てもらえず。

成実:そうですか。

中里:半年間ぐらいは。ただもう通って行くだけです。

成実:アントワープ生活の中で大変だったのは言葉ですか?

中里:そうですね。言葉の問題はもう最後まで自分に付きまとってしまって、最後の最後まで怒られていました。

成実:特にこの人は怖かったっていうのはありますか?(笑)

中里:怖い先生は沢山いますよね。特に一年生の先生が二人いるのですけれども、女性で。二人とも相当インパクトが強いのですね。結構怯んでしまう人も沢山いて、自分も相当怯みそうになったんですけども、まあ必死に、食らいついていたという感じでした。

成実:聞くところでは、年間半分の学生は脱落していくという話なのですが、それはどういうきっかけというか、何が原因でそんなに脱落してしまうのですか?

中里:本当に人それぞれなので、ただ単に才能がない、実力がないというだけで進級できないわけではなくて、例えばもともと実力を持っている人が入学して来て、もうそのままその実力のまま一年間を通してしまう人もいるのですね。そういう人は、もう学校にいても意味がないというか、もう世界に出て行っても良い状態の人がいる。そういう場合は進級させないで落してしまったりとか、そういう決断をどんどん先生がしていくのは、本当に個人個人に関わって来ることだと思います。

成実:あまりにも厳しすぎて、どうなのだろうかという部分もあったのではないかと思いますが、クレームをつけるとしたら。

中里:クレームは、ないってことにしますけど(笑)。

成実:関係者はここにはいませんよ(笑)。

中里:いやいやいや(笑)。ただ、一人女性のドローイングを教える先生がいまして、すごくパーソナルなプライベートな問題にも入り込んで来るのですね。例えば恋愛とかですね、その辺も絡めて指導して来るんです。でも実はそれも重要なことなんですよね。

中:日本の学校と違って、パターンを学ぶことはほとんどありません。カリキュラムにありますけど、パターンにもその個性を出しなさいということで、パターンの基礎がペーパーで配られるだけで、深くドレーピングを学ぶということはできないですね。それが、マイナスに働くかというと、逆にクリエーションをそこに落とし込むということができるし、さらにもっともっとデザインへデザインへと時間を、アテンションを割かれるので、ステッチがどうっていうことよりも、さらに自分らしくどう表現するかというところに時間が割かれるので、マイナスに見えているのですけど、限られた四年間という中では、これは一つの決断ではないかと思います。

成実:なるほどね。ファッションのデザインというとやっぱりパターンの勉強が多いと思いますが、そこを敢えて教えないということですね。そこも考えろということですか?

坂部:はい。そうだと思います。ただ、とにかくデザインを習うだけでも正直四年間でも結構ぎりぎりだと思うのですよ。本当に何も知らない人はまず自分自身を見つけて、ファッションの歴史を知り、今のファッションにどう自分を入れていくかという作業だけを習うのに四年間は結構少なくて、その中で本当にちゃんとクリエーションさえできれば、他のこと、たぶんそこでもしパターンの授業を入れ、縫製の授業をどんどん入れていったら、たぶんデザインなんて習っている時間はないと思うのですね。なので、無理を承知で、デザイン以外はあそこでは敢えてそんなに教えてもらえないのですけど、ただ、逆に許されているのが、チームを作って、自分一人でできなかったら誰か手伝ってくれる人を見つけたりとか、自分でスポンサーを見つけて工場でプリントしてくれるところを探したりとか、そういうのをどんどん自分で動き回って探して、それを作品に入れていっても良いとは言われるのですよ。だから一人で全部やれという決まりはないのですよ。もし自分がデザイナーになるなら当然一人ではやらないと思いますし、そういう面でチームワークというものも自分の中で学生のうちに習っていけみたいな話はたまにしていますね。

成実:かなり高度なことが暗黙のうちに要求されているということですね。

坂部:そうですね。最終目標は良い作品を作るということで決定しているので、どんな手を使ってでも良いものを作れということはどこかにあると思います。

成実:中さんは、最後までいかずにアカデミーを中退されたわけですが、アカデミーに見切りをつけた理由というのはどの辺にあったのですか?

中:いや見切りという気持ちではなくて、イェール国際フェスティバルというところで、エルス・アーノルス (Els Arnols)というニット・デザイナー (ベルンハルトの初期の作品や、ラフのニットも作っている)から一緒にレーベルをスタートしようとを言われまして、それで、自分ではすごく良いチャンスを頂いたと思ったんで、その後アカデミーに戻らず一年間あるレーベルを二人で立ち上げるためにいろいろなビジネスのことなどをそこでやっていたのですね。最終的にはいろいろな理由で、問題が生じてできなかったのですけれども、私は見切りをつけたつもりは全然なくて、もっと何か学びたいぐらいです。素晴らしいところでした。

成実:アントワープのここについてちょっと一言言いたい、みたいなことを教えて頂きたいのですが。良かったこととか、悪かったこととか。

中:そうですね。アントワープは本当に坂部が先程お話ししたように、モノが何もない状態、本当に東京とは全く逆の状態ですね。

成実:素材を売っている場所もないそうですね。

中:そうですね。素材も僕はいつもパキスタン街に行っていつも買って、その生地、そのままだと絨毯みたいなものにしかならなかったりとか、ただのシーチングみたいなものしかなかったりとか、モノがないというところには、自分が手を加えることができるという、ある意味、逆説としてとらえることもできます。ボタンもストッキングを売っているお店の横に掛っているボタンしかない。モノがない、フランダース・ファッション・インスティテュートが、揃えようと思えば揃えられると思うのですけど、そのないところが、生徒のクリエイティヴィティを刺激するので、環境が整っていることが必ずしも良いデザインを生むものではないということは、アカデミーに行って感じましたし、デザインが、本当に学べるものだということ、それは天性で生まれ持ってデザイン力がある、ないというものではなくて、デザインというのは引き伸ばしていくことができるカテゴリーなのだということをすごく感じました。

成実:デザインというと、自分の中に才能みたいなものがあるかないかみたいな、そういう印象があるのですが、そうではないという。

中:そうではないと思います。それだけではなくて、自己実現能力とか、例えば課題を与えられた時に、それをどうクリアしていくのかとか、アカデミーの卒業生によく聞くと、やっぱり学ぶことは自分を信じ続けることだっていうのは、よく皆が言う言葉なのですけれども。そうではないと、すべてのものを学生の時に備えているわけではないので、やっぱり自分を信じてそれにアプローチし続けるタフさ、そういうものもデザイナーには要求されていると思います。

成実:中里さんはいかがですか、ヨーロッパ中を回って素材を探されていましたが、一番大変だったことというのは?

中里:大変だったことですか?

成実:あるいはよかったことでも。

中里:そうですね。アントワープでできることというか、自分は本当にスタートの場がアントワープだったのですけれども、ファッションを学ぶにあたって、衣服っていうもの、洋服って何なのかなということをもう一度考える機会になって、というはその日本にいた時には自然にブレーキがかかっていて、洋服ってこうでなくてはいけないとか、こうあるべきだとか、そういう規制にかかっているブレーキが自然に外れていって、改めて衣服の可能性を模索する、そういう機会が許されているというか、自分で絵を作ればそれを学校が許してくれるというか、そういう環境があって、その中で自由に羽を伸ばすことができたなと思います。今卒業してこれからという状況ですけれども、日本のファッションの未来を心配されないように、勇気を持って挑戦していきたいなと思います。

成実:なかなか優等生なコメントありがとうございます(笑)。最後に坂部さんにも一言モノ申していただいて締めたいと思うのですが。

坂部:はい、今言ったことはすべて、なにか付け加えたり、大げさに言っているということはないと思うのですよ。ただやはりプロになる上で、あの学校ではビジネス的なことは全く習わないのですね。ただ入ってからのそのビジネス系の苛酷さは、やっぱりすさまじくて、そこはやはりクリエーションとはまた別でやらなければいけないのですけど、そこの面だけはアントワープでは全く習えなかったですね。
だからそこが今、たぶん僕たちだけではなくて若いデザイナーが一番大変なとこだと思うんですけど、どういかにクリエーションとビジネスをやるかというところも、僕たちの中では今後の課題として残っています。

成実:もうちょっとビジネスのことも学びたかったなぁと。

坂部:いや、それも難しいじゃないですか。全部を学べるわけはないので。なんかモノ申すにはなってないのですけど。

成実:この三人は今年三月の東京コレクションで大変素晴らしいショーや展示会を開かれて、今後の可能性を垣間見る思いがしました。さすがアントワープの卒業生だなと感心した次第です。時間が来ましたが、もしお三人に質問等ございましたら、トークの終わりに質疑応答が設けられますので、その時にお願いします。それでは、どうもありがとうございました。


第一部:アントワープ・ファッションの揺籃期

第二部:アカデミーのカリキュラム

第三部:日本における受容

質疑応答


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東京オペラシティアートギャラリー
10th ANNIVERSARY