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| 1934年 | 2月23日、池田覚治郎、さと子の長男として旧満州国奉天市桃園町に生まれる。 | |
| 1952年 | 長野県立長野北高等学校を卒業。東京藝術大学油絵科を受験するも不合格。 | |
| 1960年 | 第2回東京国際版画ビエンナーレ展に《女の肖像》《女・動物たち》《女》を出品、文部大臣賞を受賞して脚光をあびる。 | |
| 1961年 | 第2回パリ青年ビエンナーレ展に《月の祭》《大きな女》《女王》を出品して、優秀賞受賞。不忍画廊で初の銅版画展。 | |
| 1962年 | 第3回東京国際版画ビエンナーレ展で東京都知事賞受賞 | |
| 1964年 | 第4回東京国際版画ビエンナーレ展で国立近代美術館賞受賞 | |
| 1965年 | ニューヨーク近代美術館で個展 | |
| 1966年 | 第33回ベネチア・ビエンナーレで《化粧する女》《バラはバラ》《スプリング・アンド・スプリングス》《ある種の関係》など28点の銅版画を出品して、版画部門大賞を受賞。 | |
| 1967年 | 第17回藝術選奨文部大臣賞を受賞。 | |
| 1969年 | 第8回リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展に《ブタペストからの自画像》《靴の裏側》《マリリンの半分》を出品して、ユーゴスラビア科学芸術アカデミー賞を受賞。 | |
| 1977年 | 小説『エーゲ海に捧ぐ』により第77回芥川賞を受賞。 | |
| 1979年 | 自らの原作、脚本、監督による映画『エーゲ海に捧ぐ』が完成し、カンヌ映画祭に出品。 | |
| 1980年 | 佐藤陽子との新しい門出を祝う会で陽子との結婚を宣言。 | |
| 1982年 | 熱海市海光町に移住する。 | |
| 1983年 | 岩殿寺窯(南伊豆町)で初めて作陶を試みる。 | |
| 1986年 | 熱海市下多賀に「満陽工房」設立。 | |
| 1993年 | 山梨県増穂町に「満寿夫八方窯」を築窯。 | |
| 1997年 | 3月8日、63歳で急逝。 |
| モンローのポスターの前で銅版画制作中の池田満寿夫 (毎日新聞提供) 1967年4月 |
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