展示構成
Exhibition

1. 知られざる初期作品

幼少より書画骨董、映画や芝居、浮世絵版画や中国の怪異小説などに親しんで育った白髪。当初は日本画を学びましたが、京都の美術専門学校を出てから油彩画に転向しました。初期作品からは、伝統と近代、日本画と洋画など、様々な対立軸のはざまで自己の表現を模索した白髪の息づかいが伝わってきます。

《難航》
1949
尼崎市蔵
油彩、キャンバス

2.「具体」前夜

1952年に金山明、村上三郎、田中敦子らと先鋭的な表現をめざして「0会(ゼロ会)」を結成。その2年後には、床に広げた支持体に足で描く「フット・ペインティング」を創始します。当時の白髪は、身体を酷使して得られる精神的な糧のようなものを、作品を残すこと以上に重視していました。

《無題》
1959
豊田市美術館蔵
油彩、キャンバス

3.「具体」への参加

1955年、白髪は「0会(ゼロ会)」の仲間とともに、吉原治良率いる「具体美術協会」に参加。以後、実験的作品やパフォーマンスを次々と発表します。それらは今日のインスタレーションやアースワーク、パフォーマンス・アートなどの先駆として高く評価されています。本展ではこれらを貴重な動画や写真資料で紹介します。

《作品(赤い材木)》
1957
東京都現代美術館蔵
赤色塗料、木

4.「水滸伝シリーズ」の誕生

「具体」の国際的評価が高まるなか、作品を海外に送る際、個々の作品を識別するために、少年時代から愛読した『水滸伝』に登場する豪傑たちのあだ名をタイトルにつけ始めます。血なまぐささや暴力性をはらんだ作品イメージに、豪傑たちのあだ名は合致していたのでしょう。

《天空星急先鋒》
1962
兵庫県立美術館蔵
油彩、キャンバス

5.「具体」の解散と密教への接近

白髪は1960年代頃から密教に関心を深め、1971年に比叡山延暦寺で得度し天台宗の僧侶となります。吉原治良の死去を機に「具体」が解散する頃から、作品には密教的な妖しさ、濃密な精神性が漂い始め、素足にかわってスキージ(長いヘラ)を用いて画面に流動感をもたらす方法が優れた効果を上げています。

《貫流》
1973
東京オペラシティ アートギャラリー蔵
油彩、キャンバス
撮影:早川宏一

6. フット・ペインティングへの回帰と晩年の活動

白髪は1974年に延暦寺で激しい仏道修行を修めて以後、スキージで円相を多く描きます。しかし動きに乏しい円の反復で制作は停滞し、それに気づいた白髪は、改めてフットぺインティングに回帰します。それは単なる回帰ではなく、精神の凝縮を感じさせる充実した作品群を生み出すことになりました。

《群青》
1985
尼崎市教育委員会蔵(尼崎市立尼崎高等学校)
油彩、キャンバス

*展示構成は変更になる場合があります。