2013.04.13[土] - 06.23[日]
《Flythrough》(2013)と題された新作は、秋山幸の絵画の新しい展開を充分に予期させてくれます。雲の切れ間から青空や海面が覗くように、薄いピンク色の層が折り重なる合間から淡いブルーの色層が透けてみえます。画面右のオレンジ色の円は太陽、その周囲にみえるのは虹のスペクトルやオーロラでしょうか。フライスルー(Flythrough)とはバーチャル飛行の意味で、この作品では、上空を飛行する視界に目前で次々に繰り広げられる大気と光の情景が絵画化されています。それに加えて、変幻する色彩と形象の諸相を示すこの作品には、2008〜10年の中国留学を境として、その前後の彼女の作品が、一つの画面のなかに共存した感があります。
中国留学以前の彼女の作風をよく示す代表作が《Moon and Sun》(2008)です。画面中央に水平線が設定され、濃紺を基調とする画面の下半分では、画面の中心に向かってパースペクティブが強調されています。他方、画面上半分では、より明度の高い、比較的淡い色調の色面が複雑に絡み合い、むしろ平面性が強く感じられます。画面の上下にそれぞれ配されたリスと鹿の形象が、この異質な2つの画面を結びつける役割を果たしています。また、画面のところどころに認められる物質感の強い絵具のマチエールが、さらに豊かな視覚的効果を与えています。
中国留学以前の作品はこのように、抽象的な色面と具象的な形象によって画面構成がなされていました。それに対して、留学以降の作品では、抽象的な色面の比重が後退し、形象がより全面に出てくるようになりました。たとえば、《Light on Wallpaper》や《Room》(ともに2011)では、画面全体に文様が散りばめられ、あるいは、文様をともなう複数の色面が重なり合って画面を構成します。実際、文様表現は中国留学で秋山が得た最大の収穫の一つでした。それまでも画面にさまざまな動植物を描いていた秋山にとって、中国や日本、あるいはペルシアなどのパターン化された文様表現は、色面と形象という双方への関心を同時に満たす恰好のモティーフだったといえるでしょう。
文様表現はまた、吉祥という象徴性や過去(伝統、歴史)に連なる時間性を彼女の作品にもたらしますが、それと引き替えに、画面の空間性が以前よりも制限されるようになったことは否定できません。形象をともなう色面(層)をいくら複雑に重ね合わせても限界があるからです。やがて画面の前景に、鹿、サル、ライオンなどのモティーフが大きく描かれるようになるのは、その補完のためだったのかも知れません。
《CANDY》《Flythrough》《空をうごく》(いずれも2013)などにみられる、形象をともなわない色面の増加は、油絵具のみによる制作や、その物質感を強調したマチエールの表現とともに、中国留学以前の作品への近似性をよく示すものです。けれども、これらの作品はけっして留学以前の作品への単純な回帰ではありません。旧作と新作を隔てる最大の相違は、画面における時間性の表出という点です。そのことは、《Flythrough》《空をうごく》などの動作や運動をともなう作品名からも端的に窺われます。また、《庭のモンスーンと庭》についても同様のことがいえるでしょう。100号のキャンバス6枚で構成されるこの作品では、時々刻々と移り変わる天候と情景の様相を大画面のなかで表現しています。これまでの作品がどちらかといえば静的で、牧歌的な印象のものが多かったのに対して、新作の多くは動的であり、不穏とはいわないまでも、何か予測のつかないドラマを予感させます。色彩と形象の桃源郷から旅立ち、秋山幸は、具体的な形象を結ぶ直前の混沌とした千変万化の光景のなかを飛翔しながら、新しい絵画の地平を開拓しようとしているのです。