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オリヴァー・ナッセン特別インタビュー


2000年11月下旬、NHK交響楽団定期演奏会指揮および2001年度武満徹作曲賞譜面 審査のために来日したオリヴァー・ナッセンにインタビューを行いました。ききてはナッセンの古くからの友人でもある作曲家の猿谷紀郎です。武満徹作曲賞について(PART1)、作曲家・指揮者としての活動について(PART2)、「かいじゅうたちのいるところ」について(PART3)、の3つの部分に分けて掲載しています。明快で飾り気のないナッセンの人柄が垣間見える内容です。どうぞご覧ください。

オリヴァー・ナッセン (c)Akira Muto

ききて:猿谷紀郎(作曲家)
2000年11月29日 ヒルトン東京にて


オリヴァー・ナッセン特別インタビュー PART1


「大切なのは自分が聴きたい作品を選んだということであり、それは妥協の産物ではなかったということです。」

猿谷紀郎(以下S):まず、この武満徹作曲賞についておうかがいします。まだ歴史は浅いものの、特別な作曲賞と言えると思いますが、いかがでしょうか?

オリヴァー・ナッセン(以下K):第一に、ファイナリストの作品がすべて、じゅうぶんなリハーサルを経て演奏されるということ。単に譜読みのセッションではないわけですから、それだけでも特別だと言えます。若い作曲家にとっては、リハーサルしてもらえることだけでもありがたいのに、さらに賞金をいただけるかもしれないすばらしい機会です。第二に、審査員が一人であるということ。作品は、その人のある種の情熱、入れ込みによって選ばれるわけです。何人かの審査員ですと妥協によるつまらない審査結果になりがちですよね。ですから、私は、いま、自分が選んだ作品が演奏されるのがとても待ち遠しいです。一人での審査のほうが何人かの審査より難しいし、作品の選考責任が重いけれど、自分が深く関わっているという実感があることがいいですね。また若い作曲家がこれから国際的になるかもしれないという点も評価できます。

S:ほかの作曲賞の審査員もしていらっしゃると思いますが、その経験と照らし合わせて、今回の譜面審査ではどのような点に注意したのでしょうか。

K:私はコンクールの審査をそれほどやっていません。元来コンクールそのものを認めているわけではありません。それでも一つ二つは関わりました。2、3年前ですが、イギリスのロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティの若い作曲家対象のコンクール。しかもいっしょに仕事をしやすい人たち、例えばコリン・マシューズ、アレクサンダー・ゲールたちと。とにかくこれは武満徹作曲賞ですから、一面的な審査ではいけないと思っていました。武満は、広い視野を持った人でしたから。それと、武満ほどではありませんが、私なりの広い視野と武満の視点を合わせて審査をすべきだという信念がありました。偏狭な視点で審査はすべきでないと思います。

S:今回のファイナリストの名前を拝見し、まったく知らない日本人の名前があってうれしくなりました。これは素晴らしいことです。日本にいくつか作曲コンクールがありますが、いつも同じような名前の作曲家が登場するものですから。

K:本当ですか?日本で行われているほかの作曲賞も応募者の名前を伏せて審査をしているのですか?

S:そうだとは思いますが…。

K:もっとも、楽譜をたくさん見る経験を積むと、いくら名前が伏せてあっても一つか二つは誰の楽譜だかわかりますよ。白状すると、今回の審査でも知っている作曲家の作品を見つけました。私の選択の基準は、とても素朴です。つまり私は今回私が聴きたいと思った作品を選びました。聴衆の一人として惹かれるもの。それから、イマジネーションやアイディアが魅力的であること。これらを満たしたうえ、それぞれの楽器が演奏可能であることも大切です。今回選んだ作品のなかには客席に奏者が広がって演奏するものがありますが、それぞれの楽器にとてもよく書かれているので選びました。広い視野を持ち、同時に詳細な点にも配慮がなされています。大切なことです。それにしても、あの選考の過程を何と表現したらいいか…。楽譜を見ながら、もっともらしい説明をしているというか、対象を拒否しているんですね。スタイルがどうとか、おもしろくないとか、拒否する理由を考えている…。しかし、つまるところ、単純に自分の好み、テイストで選んでいるんです。今日(譜面審査の最終日)の午後、どうしても見直したい作品がもう6つありました。もしかしたらすでに選んだ作品よりよかったかもしれない。私は選択を間違えたかもしれない。でも、大切なのは自分が聴きたい作品を選んだということであり、それは妥協ではなかったということです。


オリヴァー・ナッセン


S:応募者の一人、16歳(最年少)の人に手紙を書いたそうですね。手紙を読ませていただきましたが、とても丁寧なアドヴァイスで、これはすばらしい激励になると思いました。

K:譜面を見ていて、これはすごく若い人が書いていると思い、ただファイナルには残せないので、もう一度譜面を見直し、応募者がどんな人なのか教えてもらいました。この子は、とても才能があります。ですから落胆させてはいけないと思いました。私が彼と同じ位の年齢だった時、周囲の人は心暖かく、いつも励まされていました。もちろん私がその頃作曲していた作品の質と彼が書いている作品とは違いますが。とにかく、彼がだれなのか全く知りませんが、その作品への印象を伝えたい、手助けをしたいと、ペンをとりました。

S:応募作品を見ていて、全体的に何か傾向を感じましたか?

K:内面の様式の変化に乏しい、色彩も少ない。でも、全体的には、とてもピュアという印象です。全体をうまくまとめられない作品が多いわけでもない。ただ、こまったなと思ったのは、大言壮語的な作品が目立ったことです。ポスト・ショスタコーヴィチ風だったり、ポスト・ヒンデミット風だったり…。実のところ私は苦手なんですよ。


S:この前一緒にヤマハに行った時に見かけた《鉄工場》みたいな。

K:ああ、モソロフの《鉄工場》ね! なぜ、今頃そんなものを作るのか。なぜ今頃そのようなものを肯定するのでしょう。私は巨漢ですよ、でも繊細なのです(笑)。すべてがそうだとは言いませんが、傾向として、曲のはじまりは、とてもクラフトマンシップのある出だしでいいのに、それが速い楽章になると、突然そうなるんです。コンピューターを使った作曲のせいなのでしょうか。よくわかりません。ミニマリズムはほとんどなかった。楽しい序曲風、二長調などもありました。印象派もね。12音技法の作品は少しあったかな。私が選んだ作品のなかにセリエルに沿った作品はありました。テクスチュア作品が多く、それから1、2の武満イミテーション作品。中にはとてもいいものもありました。



オリヴァー・ナッセン (c)Akira Muto


S:この作曲賞は、今度で5回目です。ヨーロッパやアメリカの雑誌などにも広告を掲出していますが、海外でよく知られているのでしょうか?

K:ええ、よく知られていますよ。デュティユーやベリオらが審査員だったということもあって、若い作曲家はちょっと恐れを抱くかもしれませんが、この作曲賞の質が理解されやすいでしょう。このような作曲家に審査される作品はどのような質でなければいけないってことが理解されています。公正だし、運営もすばらしいと思います。


S:来年5月の演奏会に期待することは?

K:作曲賞の本選会ですか、それとも私のコンサートですか?


S:両方です。

K:私のコンサートについては、自分で指揮するので、特別なことはありませんが、武満の《グリーン》、それにブリテンの作品を演奏できるのが楽しみです。イギリスでもよく演奏していますから。自分の作品でなく、誰かの作品を指揮するほうがどれほど楽しいか!でも一番楽しみなのは、作曲賞のファイナリストの作品を聴くことですね。

(PART2へつづく)




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