鬱蒼と繁る木々の下を歩きながらふと頭上を見上げると、枝の間から射し込む思いがけず強い光に目が眩む ─ その瞬間、周囲のものはかたちを失い、ぼんやりとした輪郭と光の輪のみのおだやかな世界が目の奥に広がる。何年か前に山川勝彦の作品を都内の画廊で初めて目にしたとき、久しく忘れていた自然の中での体験が鮮やかに思い出されました。高層ビルのガラスに反射する容赦ない都会の光線とも、夜の繁華街を真昼のように照らすネオンの洪水とも違う、豊かで恵みに満ちた陽の光。生物が生きていく上でかけがえのないものでありながら、それが照らし出す種々多様なものに目を奪われがちなため、私たちの意識が光そのものに向かうことは少ないのではないでしょうか。
このように慎み深い光が、山川の描く絵画においては主体となって充溢しています。わずかに黄みを帯びているものの大きく塗り残されたキャンバスの地を、緑の濃淡が囲むことで、やわらかな円光が浮かび上がります。そこにはじめから存在するものを「発見」していくかのようなこの描画は、日々当然のように世界を照らす光を、私たちがなにかのきっかけで認識する行為にとても近いように思います。 山川が光をテーマに作品を制作するようになったのは90年代後半のことですが、そのころ精神的な安定を保つことに苦労した彼にとって、目覚めた時に浴びる朝日が生を実感させる唯一の存在だったといいます。自然豊かな環境で育った山川は都会でどうしようもない孤独にさいなまされ、次の日は訪れるのだろうかと自問しながら眠りにつく毎日の中で、朝の光は未来であり、希望であったのでしょう。自らに生存の証を与え続ける圧倒的な存在を、どうにか描くことはできないだろうか。その思いが強くなったとき、緑を求めて出かけた郊外の、林の中で撮った一枚の写真が手がかりを示してくれたそうです。マニュアル・カメラで撮影したその写真は焦点がずれたもので、すべてがぼんやりと滲む世界に、肉眼では不可視の光が細かな粒となってゆらめいていたのです。
きわめて個人的な経験にもとづいて制作される作品は、ともすると自己完結的、断絶的なものになりがちです。山川自身、絵画を制作するという行為は、慰めであり救いでもあると語っています。しかし同時に山川の絵画には、他者の自由なアプローチを受け入れ、画面から無限にひろがる世界へと鑑賞者を誘う開放感があります。誰もがその恩恵を受けている光という普遍的な存在を扱い、自分の経験したその自然を思い出してほしいと、緑色の部分をことさら抽象的な表現にとどめていることは、鑑賞者おのおのの記憶や体験を積極的に呼び起こすことに寄与しています。そして制作に際して彼が常に信じているのは、こうした個人的な記憶や体験は他者とは共有不可能なものであったとしても、それぞれが感じる懐かしさや安らぎを分かち合うことは可能なはずである、ということです。 2004年までに制作された作品群に見られる、アウトフォーカスによって顕在化された光は、画面の外からもたらされたものであり、山川は与えられた光を描いてきたといってよいでしょう。しかし、昨年そして今年の新作においては、画面が重層化し奥行きが与えられるようになって、それまで白のメディウムで描かれていた光の粒は、面積を増やして画面空間の奥でさらにやわらかく、強く、明るく、自ら発光するかのようです。これは現在を照らす光ではなく、いわば求めて近づく対象である未来的な光、言い換えれば希望です。画面手前に、昨年の作品では幾何学的な、新作ではよりラフな筆遣いで描かれるモチーフが挿入され、作品を前にする者と光との間に距離が示されるようになりました。しかし山川はそれをネガティヴな隔たりとして描いているわけではありません。希望に導かれながら、自分自身と、他者と向き合い、繋がりながら進むその道のりは豊かなものだからです。求めるべき光を自ら絵画の中に生み出した山川が、どのように光と向き合い、どのように描いていくのか、今後の探求に期待が高まります。 | ||||||||||
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《展示風景》 |
山川勝彦 YAMAKAWA Ktsuhiko | |
1967 | 長崎県生まれ |
1992 | 多摩美術大学美術学部絵画科卒業 |
1994 | 多摩美術大学大学院美術研究科修了 |
2001 | 「トーキョーワンダーウォール公募2001」トーキョーワンダーウォール賞受賞 |
現在、東京都在住 | |
主な個展 | |
1991 | Gアートギャラリー、東京('93, '95, '98) |
1999 | ギャラリー山口、東京(2001年以降毎年)('02 リーフレット) |
2001 | GALLERY MOCA、名古屋 「トーキョーワンダーウォール都庁2001」、東京都庁舎 |
主なグループ展 | |
1992 | 「第3回柏市文化フォーラム104大賞展」、柏高島屋(カタログ) 「第22回現代日本美術展」、東京都美術館(他京都、茨城)(カタログ) |
2001 | 「トーキョーワンダーウォール公募2001」、東京都現代美術館('02)(カタログ) |
2004 | 「トーキョーワンダーウォールの作家たち展 2000~2003」、東京都現代美術館(カタログ) |
参考文献 ・本江邦夫、「救いの絵画」、『山川勝彦―光のゆらぎ―』、ギャラリー山口 個展(リーフレット)、2002年 |
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会場:東京オペラシティ アートギャラリー 4Fコリドール
期間:2006.7.8[土]─ 9.18[月・祝]
開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)
休館日 :月曜日(7月17日、9月18日は開館)、7月18日[火](振替休館)、8月6日[日](全館休館日)
入場料 :企画展「光の魔術師 インゴ・マウラー展」の入場料に含まれます。
主催:財団法人東京オペラシティ文化財団
特別協賛:小田急電鉄株式会社
協賛:日本生命保険相互会社
お問い合わせ:東京オペラシティアートギャラリー Tel. 03-5353-0756