プロジェクトN

project N 83
衣川明子 KINUGAWA Akiko

2021.7.17[土] ─ 9.20[月]

《あの日の山とその日の山》
《あの日の山とその日の山》
油彩, キャンバス
91.0 × 116.7 cm
2021
photo: Kei Okano
衣川明子 何かに、驚くほど愛されていた

衣川明子の近作を見ていると、いずれも輪郭や境界が不明瞭にぼかされ、画面の深奥から表情や視線のようなものがゆらゆらと出現してくるように見える。もはや人なのかさえもあいまいなその対象は、衣川が描こうとするあらゆる生命のイメージである。

衣川は、人間や動物を含めた生命体の奥には、限りなく平等な領域が広がっていると考え、描くことでそれに近づこうと試みてきたという。そうした感覚は絵を描きはじめた頃からすでにあったといい、そこには幼少期の海外生活や、家族が動物保護の活動を行っていたことも影響しているかもしれない。ニューヨークで生まれ千葉県で育った衣川は、小学生の頃に3年間ほどソウルで生活をしている。ソウルのインターナショナルスクールと日本の小学校の両方を体験した衣川は、他者とのかかわり方や受け入れ方の違いを感じたという。また、家族が保護したたくさんの動物が身近にいたことは、人と動物のかかわり方を考えるきっかけとなった。
これらの経験から、衣川の意識は自己と他者との相違に注がれていった。自分と他人、自分と動物の違いは何か。人の生命と動物の生命の違いは何か。それらは目に見えるかたちが違うだけで、その存在の「本質」そのものにおいてはさして違いはないのではないか。衣川が考える限りなく平等な領域というのは、そのような思考から生まれている。

《same》

《same》
油彩, キャンバス
38.0 × 45.5 cm
2021
photo: Kei Okano

衣川は生命に対して一貫した関心をおいているが、その表現をめぐっては近年、大きな展開を見せている。
今回紹介するのは2019年以降の近作であるが、それ以前の2018年頃まで、人と動物とが混ざり合ったような生命体を多く描いてきた。色彩を抑え、黒々と描かれた画面の中で、クローズアップされ目を見開いた「何か」が、正面からこちらをじっと見つめてくる。その視線はどこか虚ろで悲しげだ。その「何か」と対峙しているうちに鑑賞者は、自己のなかの他者(あるいはもうひとりの自分自身)を見抜かれ、えぐり出されるような不安な感覚を覚える。
しかし2019 年以降の作品では、何かから解放されたかのように、それまでのダークな色調から一変して明るい色づかいが印象的な表現が見られるようになった。見開いていた「何か」の目は閉じられ、その表情はあいまいながらも穏やかになり、心なしか微笑んでいるようにも見える。それまでの不穏さや危うさはほとんど感じられない。

これには、衣川自身の生命に対する向き合い方の変化がかかわっている。それまでは、それらの「本質」に迫ろうと、ひとつひとつの生命体を深く掘り下げることを意識していた。それを凝視し、突きつめていくなかで、きらめく粒子や発光する色彩を感じるようになった。私たちを含めた世界を構成するものはこの粒子であり、目に見える顔や身体は刹那的なかたちにすぎず、流動する粒子がそのかたちの中に入り込むことで生命体が存在する。それらの粒子は固定的な概念から解き放たれて自由であり、優劣も区別もない。だからこそすべての生命は平等で平和で愛に満ちたものであると、衣川は新たな視点を見出したのである。これまでの衣川が平等な領域を存在の内に求めていたとすれば、現在の衣川はそれを外に向って求めるようになったのであり、その姿勢の変化が衣川の現在の制作をかたちづくっている。
雄大な自然や宇宙を想像したとき、目の前のことから解放され、穏やかな気持ちになったことは誰しもあるだろう。それは自らも含めたすべての存在が、壮大なものの一部であると感じる境地であり、現在の衣川の姿勢は、そうした境地に通じているのではないだろうか。

《through》

《through》
油彩, キャンバス
117.5 × 81.0 cm
2021
photo: Kei Okano

今回展示している《結》(2019)、《water mountain》(2020)、《居る》(2020)、《あの日の山とその日の山》(2021)、《through》(2021)では、明るい画面の中で、ぼんやりと浮かび上がる形態が、それぞれ引き合ったり跳ね返ったりしながら、ゆっくりと変化しているようにも見える。そこでは絵具の粒子の動きから、形態が自発的に生じてくる局面が大切にされている。画面を構成する絵具の粒子は、自然の中で生命をかたちづくる粒子に重ねられているようだ。対象の顔や身体はすでに融解して不定形に近づきつつあるが、むしろそのことが力強く生命を感じさせる。
興味深いのは、ここ数か月で描かれた作品では、対象の表情が改めて明瞭に描かれはじめていることである。そこには2019年以前のような暗さは感じられない。異なる二つの存在が同じ画面の中で寄り添ったり、内包したり、連なったりして、まるで互いの存在を認め合い、受け入れ合っているような柔和なイメージとなっている。

最後に、衣川が発表した詩の一節を紹介したい。[註1]

何かに、驚くほど愛されていた
宇宙や自然を想った時にある
平等で等価な感覚、調子
それが自分の本体だった

衣川の、すべての生命に対する眼差しは一貫している。自己と他者、人間と動物、自然など、世界を構成するすべての事物において、いささかの差異もないということ。そこに衣川は普遍的な愛を見ている。その愛を表現するために衣川はひたむきにキャンバスに向かい合っている。

註1 衣川明子「2019 メモ」『現代詩手帖』2021年6月号,pp. 48-49

ギャラリー展示風景1 ギャラリー展示風景2
ギャラリー展示風景3 ギャラリー展示風景4
展示風景

衣川明子 KINUGAWA Akiko
1986 ニューヨーク生まれ
2010 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業
2012 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了
東京都在住
   
主な個展
2011 「人と人と他と人」, ギャラリー b. Tokyo, 東京
2012 「誰」, ARATANIURANO, 東京
「絵画、それを愛と呼ぶことにしよう vol.6 衣川明子」, gallery αM, 東京
2013 「いるいない」, Art Center Ongoing, 東京
2014 「in our skin」, ARATANIURANO, 東京
2015 「物、ナマ、共感」, ARATANIURANO, 東京
2017 「糞して寝ようか」, URANO, 東京
2018 「人を描くこと 発話を聴く」, Art Center Ongoing, 東京
2019 「キとミの代」, switch point, 東京
   
主なグループ展
2010 「家で煮詰めて大事に啜る」,Art Center Ongoing,東京
2011 「Essential Ongoing〜静寂と狂気〜」,Bank ART Life III 新・港村,神奈川
2012 「アートアワードトーキョー丸の内2012」,行幸地下ギャラリー,東京
「G-tokyo / α Exhibition」,森アーツセンターギャラリー,東京
2015 「VOCA 展 2015 現代美術の展望 新しい平面の作家たち」,上野の森美術館,東京
2016 「Unusualness Makes Sense - Alternative Art Practices by Thai and Japanese Artists」,チェンマイ大学アートセンター,タイ
2018 「木曽ペインティングスvol.2 けものみち」,大つたや,長野
2019 「東風」, 武蔵野美術大学FAL/東京造形大学CSギャラリー,東京
2020 「LONELYLONELY論より証拠」,駒込倉庫,東京
「まなざしのカタチ」,WAITINGROOM,東京
   
リンク
衣川明子(ANOMALY)
http://anomalytokyo.com/artist/akiko-kinugawa/
   


■インフォメーション

会場:東京オペラシティ アートギャラリー 4Fコリドール
期間:2021.7.17[土] ─ 9.20[月]

開館時間:11:00 ─ 19:00(入場は18:30まで)

休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、8月1日[日](全館休館日)
入場料:企画展「加藤翼 縄張りと島」の入場料に含まれます。

主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団

お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)