2001.7.1[日]― 9.16[日] ![]() 例えば最近街中を闊歩している80年代ファッションの若者や、家具類に顕著な60〜70年代デザインのリバイバル、またはLPの復刻版やリミックス・バージョンのCDにみられるように、現代は各時代の特徴的な表現を取り入れながら、それをオリジナルなものとして再生させることが上手なリミックス文化の時代といえるでしょう。北浦は各時代の特徴が織り交ざった網のなかで、周囲に対して常に好奇心に満ちたアンテナを張り巡らし、表現の源を探求しています。 |
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彼の作品は明るく穏かで飾り気がなく、あっけらかんと周囲に対して開け放たれた空気が漂っていますが、そこにはいつも、小さいながらも分かりやすい落とし穴と、思わせぶりなタイトルが設定されています。そのわずかな穴から覗く「裏」の顔が見る者を作品に引き込む入口の役割を果たしています。鑑賞者は、ちょうどアリスがウサギにつられて木の根元の落とし穴から不思議の国へ足を踏み入れたように、作品の裏にある物語を読み解こうと誘導されるのです。 |
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落とし穴として北浦の作品でしばしば繰り返されるのは、人物と火の描写です。高所に立つ人物やジェット噴射する飛行機、もしくは火事の家や船などが、曇りのなかったはずの画面に不安を漂わせる毒気の象徴として用いられていることは、視線を集中させるようにその部分にのみ油絵具を厚塗りした作品があることからも明かです。またそれらがあえてアンバランスに画面に配置され、構図として不安定感を醸し出していることも作品形成の背景として欠かせないでしょう。
また、異なった要素を画面上に配置するというより、画面全体が均一化し、グラフィカルな色面構成に近づいています。そこでは象徴的な意味あいが抑えられ、逆に描かれたイメージの不規則性、ひいては無意味さが強調されることになるでしょう。そのことによって毒気が作品から完全に消えることはありませんが、物語性は薄まり、画面全体に「裏」の気配がかすかに漂う程度の表現になっています。 北浦の作品に見られる、どこかしら抑え気味であえて肩の力を抜いたような等身大の表現というのは、現代の作家に多く見られる傾向であるといえますが、彼は自分の表現を追究する際に、時代と照らし合わせ、柔軟に「現代性」をリミックスしているといえるでしょう。 |
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同時代に生きる作家の作品を見ることは、現代のリアリティについて考えることでもあります。北浦の作品に見られるちょっとしたシニカルさは、意識的にせよ無意識的にせよ、彼が「現代」に対してリアルに感じているものの反映であると同時に、私たちがどこかで感じているものでもあります。自己表現を追い求めるあまり、それが内向的に閉塞してゆく方向へ陥る危険性を孕んだ芸術の世界で、北浦の作品は、真摯に己の表現を追究することと、周囲の環境に視野を広く保ち、自分の生きる時代を柔軟に取り入れることが、「現代」の網目に同時に織り込まれていることを、改めて認識させる機会となるでしょう。 |
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