![]() project N 79
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《Lay on the grass》 油彩, アクリル, キャンバス 130.0 × 162.0 cm 2020 photo: Kei Okano |
絵画は詩のように ─ 糸川ゆりえの制作 |
糸川ゆりえの作品はカメラマン泣かせの作品の一つといえるでしょう。糸川は、油絵具やアクリル絵具のほかに、銀色、パール、ラメ、樹脂、透明メディウムなどを多用しています。銀色やラメを施された部分の表面は光を繊細に反射し、透明メディウムを混ぜた絵具がつくり出す凹凸のある絵肌は光を複雑に透過し、その結果、彼女の作品は、ホログラムかレンチキュラーのように、照明の角度や鑑賞者の立ち位置によってその表情を微妙に変えるからです。もちろん、この千変する画面が彼女の作品をより豊かで、魅力的なものにしているのは確かです。
武蔵野美術大学大学院を修了した糸川ゆりえは、はじめトレーシングペーパーや金属板などを支持体として作品を制作していました。キャンバスを支持体にするようになったのは2015年頃で、当初から透明色や銀色などを積極的にもちいています。描かれるイメージには大きな変化はみられないので、この間の変化は、イメージのそこはかとない揺らぎを、素材や支持体の特性に頼ることなく、表現描写として追求してきた結果に間違いないでしょう。
糸川の絵には、女性、水辺、植物、舟、家、星座、ボートなど、特定の詩的モティーフが繰り返し登場します。それらの輪郭線は曖昧にぼかされ、すべてが溶け合い、浮遊し、彷徨うかのように表現されています。もっとも、乱反射する光や透過光に支配された糸川の詩的世界は牧歌的、健康的で、不安や恐怖を煽るようなものは微塵も感じられません。白じむ空に消え入りそうな明けの明星も、仄暗い湖水にぽつんと浮かぶボートも、糸川にとっての確かな現実の姿であり、茫洋とした世界のなかではっきりと実感できるものだからでしょう。

《ルバーブの生える庭》
油彩, アクリル, キャンバス
45.5 × 53.0 cm
2020
photo: Kei Okano
糸川ゆりえが描くイメージの源泉は、彼女が日頃書き留める手記や夢の記憶、それらを反芻した際にふと浮かんでくる情景だといいます。彼女の作品が発する詩的な性格の由来も納得できますが、イメージ(絵画)の発端に、言葉があるというのは興味深いものがあります。
「詩は絵画のように(ut pictura poesis)」とは古代ローマの詩人ホラティウスの言葉で、対象の模倣(ミメーシス)という点で類似する絵画と詩を「姉妹芸術(シスター・アーツ)」とする西洋古来の芸術観を反映するものです。古代ギリシアの詩人シモニデスの言葉とされる「絵は黙せる詩、詩はものいう絵」も同様で、「画文一如」「画文共鳴」などと訳されます。西洋文化のなかで綿々と培われてきた、「絵画は詩のように、詩は絵画のように」という絵画と詩の緊密不可分な関係性は18世紀に大きく変貌します。ドイツの詩人で思想家のレッシングによって、絵画や彫刻などの視覚芸術は「空間芸術」とされ、文学や演劇などの視覚以外の要素を含む「時間芸術」と厳然と区別されることになるのです。

《Moonlit, early morning》
油彩, アクリル, キャンバス
130.3 × 194.0 cm
2019
一般的に画家は自分が目にしたり夢想した事象をデッサンやスケッチに描き留め、それをもとに作品を制作します。けれども、糸川は、デッサンやスケッチの代わりに、彼女が書き留めたエッセイやメモを下敷きにして制作を行っています。輪郭線が曖昧で、ときに形態把握に失敗したかのような歪な造形は、詩人が言葉を紡ぎ出すようにイメージを探り出す彼女独特の制作方法によるものでしょう。エッセイやメモからイメージを形象化する彼女の制作は、先に触れたシモニデスの言葉をもじっていえば、「ものいう絵」を「黙せる詩」に変換する営為といえます。また逆に、見方を換えれば、冒頭に述べた光の反射や透過を取り入れた表現は、「黙せる詩」にどうにかして「ものいう絵」の要素を留めようとする努力といえるかも知れません。 雑多な要素を含む現実の出来事から、不純なものを取り去り、絵画として昇華させるために、糸川はいったんそれを言語に置換します。作品は文字どおり、彼女の内なる詩と真実を視覚的に肉づけしたものにほかなりません。明確な輪郭線も色彩も彼女にとっては不要であり、それを取り除き、純化し結晶化させた先にあるもの、それこそが、彼女にとっての真実であり、制作において彼女が目指す到達点であるに違いありません。
糸川ゆりえ | |
1988 | 三重県生まれ |
2012 | 武蔵野美術大学油絵学科油絵専攻卒業 |
2014 | 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了 |
2019 | アーティスト・イン・レジデンス、マルネ・シュル・セーヌ植物園、フランス 東京都在住 |
主な個展 | |
2015 | 「Kodama Gallery Project 47 “糸川ゆりえ 白夜の家”」, 児玉画廊, 京都 |
2016 | 「眠る人と輪のある星の絵」, 児玉画廊(白金), 東京 |
2017 | 「ストーム」, 児玉画廊(白金), 東京 |
2018 | 「アルカディア」, 児玉画廊(天王洲), 東京 |
2019 | 「揺らぐからだ」, 児玉画廊(白金), 東京 |
主なグループ展 | |
2012 | 「アートアワードトーキョー丸の内2012」, 行幸地下ギャラリー, 東京 |
2014 |
「トーキョーワンダーウォール公募2014入選作品展」, 東京都現代美術館 「再想起」, モデルルーム, 東京 「人間になるための内転、外転 presented by モデルルーム」, 児玉画廊(白金), 東京 |
2015 | 「武蔵野美術大学×伊勢丹 U-35 若手クリエイターによるアート・デザインの現在」, 伊勢丹新宿店, 東京 |
2015 |
「武蔵野美術大学×伊勢丹 U-35 若手クリエイターによるアート・デザインの現在」, 伊勢丹新宿店, 東京 「イグノア・ユア・パースペクティブ32『Nostalgia Fantasia』」, 児玉画廊(白金), 東京 |
2017 | 「イグノア・ユア・パースペクティブ39『気になる話』」, 児玉画廊(白金), 東京 |
2018 | 「イグノア・ユア・パースペクティブ46『Pandemonium』」, 児玉画廊(白金), 東京 |
2019 | 「群馬青年ビエンナーレ2019」, 群馬県立近代美術館 |
2020 | 「イグノア・ユア・パースペクティブ53『Deal in Fantasy』」, 児玉画廊(天王洲), 東京 |
受賞 | |
2012 | アートアワードトーキョー丸の内2012 天野太郎賞 |
会場:東京オペラシティ アートギャラリー 4Fコリドール
期間:2020.7.4[土]ー 8.30[日]
開館時間:11:00 ─ 19:00(入場は18:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、8月2日[日](全館休館日)
入場料:企画展「ドレス・コード? ─ 着る人たちのゲーム」の入場料に含まれます。
主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団
お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)