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《木星》 油彩, キャンバス 53.0 × 72.7 cm 2019 photo: Kei Okano |
ささやかな日常の喜び ― 今井麗の静物 |
ジャンルでいえば静物画に分類される今井の作品は、誰にも好かれるような魅力を湛えている。いたって平明な表現に、ごく日常的で親密な雰囲気を醸し出す。以前は実家にあったフランス人形などを描いていたが、近年では、いまの住まいのキッチンや食卓の皿の上のバタートースト、メロン、アボカドなどの食べ物、コアラやチンパンジーなどの動物のぬいぐるみや、ピーナッツ、ウルトラマンに登場するキャラクターのフィギュアを描くものが大半を占める。
描き方はきわめてオーソドックスだ。遠目にはかなり緻密に描き込んだようにもみえるが、近づくと、むしろ粗く、じつに素早いタッチで描かれているのがわかる。個々のモティーフの特徴や目前の情景の印象を端的かつ的確に捉え、それらしくみえるように描写している。今井が、オルセー美術館でマネの《アスパラガス》(1880)をみたことを画家志望の契機に挙げ、ベラスケスの筆致への共感を表明しているのもうなずけるだろう。
生まれながら難聴だった今井は、手に職をつけることを考えて画家の道を選んだという。そのためだろうか、団欒の食卓を彩るさまざまな食事、子どもたちが遊ぶぬいぐるみやフィギュアを描きながら、作品には賑やかな喧騒からは隔絶したような穏やかな静寂が支配している。
風景画と静物画、戦時下と現代という大きな違いこそあれ、今井麗の作品にはどこか松本竣介の一連の風景画に通じるような生命感が感じられる。バタートーストにしろ、アボカドにしろ、コアラのぬいぐるみにしろ、何ら音声を発しないにもかかわらず、画面のなかでじつに強い存在感を示している。とくに近年の作品では、光の効果が追求され、金属製のスプーンやナイフ、ステンレスのワークトップが光を反射するだけでなく、食材そのものが内部から発光するかのようで、それが一種の崇高性の表出にもつながっている。

《パイナップル》
油彩, キャンバス
31.8 × 41.0 cm
2019
photo: Kei Okano
西欧絵画の主題のひとつとしての静物画は、15世紀に宗教画や装飾の一部として発達し、プロテスタントを信仰し、精緻な写実描写の妙技が競われた17世紀オランダにおいて確立され、風俗画、肖像画、風景画とともに絵画の主流になった。もっとも、宗教画や神話画こそを絵画の王道とする当時の価値観において、静物画は格下のジャンルとみなされ、それを補うために、宗教性を加味した静物画も数多く描かれた。人生のはかなさや快楽の虚しさを喚起させる寓意画で、ヴァニタスと呼ばれる。ほんものと見紛うばかりに克明に描写された頭蓋骨、熟した果実、花、蝶、楽器などのモティーフがしばしば画面に登場し、生の虚しさを象徴する。静物画の歴史と本質を詳述してエリカ・ラングミュアは、静物画を「私たちに生きていることを感謝したい気持ちにさせる力を持ったジャンル」と締めくくっている。
いささか乱暴な言い方になるが、静物画を自然の忠実な模倣や宗教性から解放し、近代的造形を探求する革新的表現を実践したのがセザンヌだった。ロジャー・フライはその『セザンヌ論』のなかで、セザンヌの静物画の特筆を「削除と凝縮の結果」により「すべての劇的事件を取り去ったドラマ」と評している。

《山型食パン》
油彩, キャンバス
33.3 × 24.2 cm
2019
photo: Kei Okano
今井麗の静物画は、決してドラマティックでも感傷的でもない。彼女が描くバタートーストはあくまで出来立てのバタートーストであり、キリスト教の聖体拝領のパンではない。皿の上のメロンもアボカドもヴァニタスの寓意画ではなく、また、取っ組み合いの喧嘩をしているようにみえるぬいぐるみも「ヤコブと天使の争い」ではない。あらためていうまでもなく、みる者の想像力をそれ以上かき立てるようなドラマや物語はそこには存在しないのだ。同じようなモティーフを同じような構図で何度も繰り返し描くことによって、今井はそのことを強調しているのかもしれない。毎日のように繰り返される平凡な日常。決してドラマティックでも感傷的でもなく、また、造形的な実験性に富んでいるわけでもない。にもかかわらず、今井麗の静物画が人を惹きつけるのはいったいなぜだろう。おそらく、それは、今井の絵のなかに、彼女の鋭敏な感性によって掬いとられた、他愛のない日常に潜む“真実”が確実に込められ、みる者の知覚に直截的に訴えかけてくるからではないだろうか。20世紀を代表する碩学の美術史家E. H.ゴンブリッチは、静物画はすべてヴァニタスだと断じたが、今井麗の静物画は、誰もが等しく共有する慎ましやかな日常の喜びやかけがえのなさを率直に語りかけてくれるように思われてならない。
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展示風景 |
今井麗 IMAI Ulala | |
1982 | 神奈川県生まれ |
2004 | 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻卒業 |
2009 | 多摩美術大学大学院美術研究科博士課程満期退学 神奈川県在住 |
主な個展 | |
2006 | 井上画廊, 東京(2008) |
2009 |
NICHE GALLERY, 東京(2010, 13, 14, 17) 蔵丘洞画廊, 京都(2011, 12) |
2011 | boy Attic, 東京(2014, 19) |
2015 | nidi gallery, 東京(2018) |
2016 |
日本橋高島屋美術画廊, 東京(新宿高島屋美術画廊に巡回) メリーゴーランド京都, 京都 |
2017 |
greenpoint books & things, 神奈川 代官山蔦屋書店, 東京 The Steak House DOSKOI, 東京 |
2018 | 恵文社一乗寺店 ギャラリーアンフェール, 京都 新宿髙島屋美術画廊, 東京 |
2019 | READAN DENT, 広島 梅田蔦屋書店, 大阪 XYZ collective, 東京 |
主なグループ展 | |
2011 | 「YOKOHAMA みなとみらい2011展」, 横浜市民ギャラリー, 神奈川 |
2012 | 「シェル美術賞2012」, 国立新美術館, 東京 |
2014 | 「シェル美術賞 アーティスト セレクション(SAS)2014」, 国立新美術館, 東京 |
受賞 | |
2012 | シェル美術賞2012 本江邦夫審査員奨励賞 |
リンク | |
ULALA IMAI https://ulalaimai.jimdofree.com/ |
会場:東京オペラシティ アートギャラリー 4Fコリドール
期間:2020.1.11[土]─ 3.22[日]
開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
入場料:企画展「白髪一雄」、収蔵品展068「汝の隣人を愛せよ」の入場料に含まれます。
主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団
お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)