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関口正浩の作品は、まずその明快な色彩とフォルムによって観る者を惹きつけます。色彩は独特の膨張するような圧力でわれわれの眼につきささり、ざっくりしたフォルムは自由で大胆、それでいて弛緩したところがまるでありません。画面には、描く楽しさ、喜びを素直に謳いあげるような愉悦感が漂っています。関口の作品は、いわば匿名的な色とかたちの世界なのですが、その手つきの大らかさには、まぎれもなくこの作家の個性が刻まれています。
それを支えるのは、ひとつには関口の絵画の独特な制作法です。すなわち、シリコンの板を水平に据えつけ、そこに油絵具を塗って色面をつくる。そして、生乾きのうちにそれを湯葉のように薄く引き剥がし、キャンバスに貼り重ねる。関口作品の大様で強度のあるイメージは、こうした独自の制作法によるところが少なくありません。 関口は、この制作法には「絵画的な情報を圧縮して扱える」利点があると言います。じっさい個々の作品の制作は、独自の色見本や絵具の調合レシピなどに基づいて、ときに数行の箇条書きで説明できるほど単純な手数で行われており、抑制された情報量が、効率よくツボにはまるよう扱われていることが分かります。もちろん、情報量の抑制は内容の少なさを意味しません。情報量が抑制されるのに反比例するように、個々のディテールの発言力が飛躍的に高まっているからです。 ![]() 《無題》 ところで関口自身は、制作のプロセスにおいて、水平の台から垂直のキャンバスへの移行、つまり水平のイメージから垂直のイメージへの移行が重要な意義を持つと言います。ここで思い当たるのは、20世紀のモダニズム美術論における水平と垂直の議論です。つまりそこでは、水平に置かれたイメージは、垂直に提示されたそれに比べて、物質や重力、あるいは身体性と結びつくより低級なものとされ、垂直のイメージ(通常の壁にかかった作品はみなこれにあたります)は、純粋に視覚的なものとして享受されるがゆえに至高なものであるとされました。関口はしかし、そうした従来からの把握とは明確に異なる地点に立っています。彼にとって、水平から垂直への移行は、単純に物質性や身体性からの離脱だとか、純粋な視覚性の実現といったことには直結しないのです。 その点で注目されるのは、彼の次のような発言です。「もし無重力なら絵画は平面ではありえず、それはくしゃくしゃの立体になるほかないだろう。自分の制作において、絵具が薄膜として水平の台から引き剥がされたときに示されるのは、いわば無重力状態における絵画のあり方だ。無重力状態なら、絵画は平面である必要すらなく、中空でねじれ、よじれるあり方こそが似つかわしい。しかしここは重力にとらわれた地上だから、とりあえず平面であるキャンバスに薄膜を戻しておく。それは究極の答えなどではなく、仮の姿にすぎないかも知れない・・・。」 関口はここで、従来至高であるとされてきた垂直のイメージを、たまたま重力に支配されるなかでの「仮の姿」だとうそぶいています。物質的なディテールが饒舌に語りかける関口の作品は、脱物質化、脱身体化された純粋な視覚性という理想を垂直のイメージに託す行き方とは合致しないのです。 さらに重要なのは、彼が無重力状態で立体になる絵画というナンセンスを語りながら、他方で、無重力状態にあっても厳然として存在する絵画、すなわちなおも平面として、いわば特権的なイメージとして現前する絵画を想定していることです。彼はそれを、アポロ11号が月面に立てた星条旗に託して語っています。支柱と竿に支えられ、かろうじて平面にとどまり、その危うさゆえにかえって聖なるものの顕現のごとく立ちあらわれる絵画のイメージ。それを関口は月面の星条旗に見たというのです。 ![]() 《開く旗 #1》 関口作品の多くが「旗」と題されているのはここに由来しますが、いま確認しておきたいのは、月面の星条旗は、一方で、物質性から離脱した特権的なイメージとしての理念的な絵画を、そして他方では、つねにその物質性を露呈させざるをえない絵画、いわば物質に回帰してやまない絵画、これら二つのあり方を同時に表象しているということです。関口の思考と制作は、これら二つのあり方の対立と拮抗、その調停を生産的な駆動力としているように思われます。 そもそも、水平のイメージが物質性や身体性と結びつき、垂直のイメージがそれらを脱した純粋な視覚性と結びつくという一般的なテーゼは、あくまで原理的な想定でしかないでしょう。じっさいのところは、水平のイメージも垂直のイメージも、深い意味ではともにわれわれの身体性と不可分です。なぜなら水平と垂直のイメージが異なるのは、重力とわれわれの身体軸との位置関係によってものの見え方が変わるからであり、その意味で視覚ということ自体が、身体というこの世界におけるわれわれの存在の条件をあらかじめ深く織り込んで成立しているのです。 関口が自らの制作プロセスにおける水平から垂直への移行を重視するのは、視覚が根深くまとっている身体性を、そのことによりかえって強く確認できるからではないでしょうか。この確認の手続きこそ、絵画の理念的ならびに物質的な二つのあり方を拮抗させつつ調停するための最重要のカギにほかなりません。
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関口正浩 SEKIGUCHI Masahiro | |
1984 | 東京都生まれ |
2007 | 京都精華大学芸術学部造形学科洋画コース卒業 |
2009 | 京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻油画修了 |
2012 | 京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程美術専攻油画中退 現在, 奈良県在住 |
主な個展 | |
2009 | 「Kodama Gallery Project 18『うまく見れない』」, 児玉画廊, 京都 |
2010 | 「平面B」, 児玉画廊, 東京 |
2011 | 「反転・回転・反復」, 児玉画廊, 東京 |
主なグループ展 | |
2007 | 「LOCA2007」, 京都市立芸術大学, 京都 |
2009 | 「ignore your perspective 7」, 児玉画廊, 東京 |
2010 | 「Is next phase coming?」, 児玉画廊, 京都 |
2011 | 「VOCA展2011」, 上野の森美術館, 東京(カタログ) 「絵の展示」, 清雲荘13号室, 京都 「シャッフル」, 白金アートコンプレックス, 東京 「Good Looking Little Ones」, 児玉画廊, 京都 「Kodama Gallery project 30: Multiplication: Maoya Kishi X Masahiro Sekiguchi」, 児玉画廊, 京都 |
2012 | 「京都芸大博士展」, 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA, 京都 |
参考文献 | |
清水穣 「分からなさの魅力」,『美術手帖』, 2009年9月号, pp. 172-173 | |
清水穣 「『二番狩り』の年の瀬」,『美術手帖』, 2011年2月号, pp. 184-185 | |
大島賛都「関口正浩」,『VOCA展2011 現代美術の展望 — 新しい平面の作家たち』, 「VOCA展」実行委員会, 2011年, pp.72-73 |
■インフォメーション
会場:東京オペラシティ アートギャラリー 4Fコリドール
期間:2012.4.13[金] ─ 9.2[日]
開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)
休館日 :月曜日(祝日の場合は翌火曜日、ただし5月1日[火]は開館)、8月5日[日](全館休館日)
入場料 :企画展「BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展」、収蔵品展「041難波田龍起・舟越保武 精神の軌跡」の入場料に含まれます。
主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団
お問い合わせ:東京オペラシティ アートギャラリー Tel. 03-5353-0756