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2000年の今年は、日本とオランダが交流をはじめて400周年にあたる日蘭交流記念年です。他国との関わりが閉ざされていた鎖国時代、「出島」を唯一の舞台に、オランダとの間に繰り広げられた交流は、日本が"世界"をうかがい知ることのできた小さな窓でした。限られた品々、一握りの情報から、日本人は想像するしか叶わない遠く広い世界に思いを巡らせていたはずです。 それから400年の時を隔てた現代。私たちを取り巻く状況はドラマティックなまでに様変わりしています。 テクノロジーの発達、網の目と張り巡らされた情報ネットワーク。これらによって、人、もの、そして情報がスピーディーに大量に行き交うようになった世界の距離感は、かつてとは比べものにならないほど縮んでいます。 都市空間は水平にだけでなく、垂直方向にも勢いを増して広がり、コンピュータを通じたコミュニケーションにより、私たちはヴァーチャルな感覚を培いはじめ、空間に対する認識は明らかに複雑になってきました。そうした変化の中で、「テリトリー」=自分を取り巻く空間・領域を私たちは今どのように意識しているのでしょう。 |
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都市化の進む現代社会でのキーワードであると共に、世界との接点であり、外界との境界であったオランダとの歴史的な繋がりを連想させる言葉「テリトリー(領域)」。このテーマを、国際的に活躍するオランダの5名と1組、計7人のアーティストに問いかけてみました。「テリトリー」展では彼らの思考と感受性を通じて、現代の空間意識を探求します。 東京オペラシティアートギャラリーの空間のために制作される作品は、いずれも空間と身体との関わりを問いかけるものとなっています。作品はさまざまにスペースを体感するための装置となって、日々身を置くだけでいた空間に対する意識を研ぎすまし、他者との関係性を示唆する広がりまで持つことでしょう。観客が関わり作品の重要な一部となっていくインタラクティブな要素も、本展の大きな特徴です。 |
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◎ビック・ファン・デル・ポル Bik Van der Pol ロッテルダムを拠点に94年から共同製作を続けている2人組。既存の空間やインテリアの複製を美術館や画廊に出現させ、構造物としてだけでなく、機能や用途もコピーすることで、本来の意味・目的を大らかに広げていく試みを続ける。1999年「On the Sublime」展(マルメ)に出品、1999-00年PS1(ニューヨーク)のスタジオプログラムに加わる。
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◎アーナウト・ミック Aernout Mik 同じ動作の繰り返される、ストーリー性を排した映像を、装置的な空間で見せることによって、見る者の身体感覚そのものに奇妙さや不可思議さを与える。1997年ヴェネチア・ビエンナーレ オランダ代表、1999年メルボルン・ビエンナーレに参加し、2000年にはファンナッベ美術館(アイントホーヴェン)で大規模な個展が開催された。 |
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《オーガニック・エスカレーター》 アーナウト・ミックのヴィデオ作品では、感情の抑揚がみられない、ある種パペットを思わせるような人物が繰り返す、不可思議な動作が顕著に見られます。観客は、それら音のないイメージのなかで繰り返される単純な動作に引き込まれながら、そのヴィデオ・イメージが置かれている装置的な空間のなかで、自らの身体感覚を再確認することになります。 しばしば目線よりも下に投影されるイメージは、観客が別の次元からそれに向き合うのではなく、足元からイメージのなかに取り込まれるような感覚を感じさせるものです。 《オーガニック・エスカレーター》では、ヴィデオ・イメージは、6メートル長のトンネルのような構造物のいちばん奥の壁面に映されます。イメージのなかでは、エスカレーターが通勤電車のように満員になっているところで地震が起こっています。 観客は、トンネル奥の壁面に近づくにつれて、自分自身の足元にも不安定さを感じ、徐々にそれが、トンネルのような構造体全体が前後に移動していることから来る感覚だということに気づきます。ちょうど、発車を待つ電車のなかで、隣の電車が動き始めたのか、乗っている電車が発車したのかが曖昧になる数秒間を思い出さます。 ビデオのイメージ自体が、地震で揺れていることと重なり、きわめて奇妙な浮遊感を感じさせられる作品です。 |
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◎マーク・マンダース Mark Manders 1986年以来「ポートレート」と称する架空の建物の見取り図に取り組む。この想像上の部屋の中に置かれたオブジェを形作り、空想が凝縮したパーソナルな世界観を視覚化する。1994年アントワープ現代美術館、1997年デ・アペル現代美術センター(アムステルダム)で個展、1998年サンパウロ・ビエンナーレではオランダ代表として出品。 |
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《静かな工場》/《キツネ/ネズミ/ベルト》/《真新しい日を始める素敵な方法》/《虫つきの小さなトリック》/《トウキョウ・ニュースペーパー》 すべて(建物としてのセルフポートレイトからの断片) 自分自身の空想上の「テリトリー」として、セルフポートレートと称した架空の設計図に取り組み、その様々な部屋にあるオブジェを作品としてマンダースは視覚化してきました。本展ではその空想設計図のなかのひと部屋で、3年越しで仕 上がった新しいリビングルームを展示する予定です。鉄と木でできた一見工場のようなスペースに、ネコやねずみの小動物をかたどったオブジェや、生活の中で使った鉛筆、カップなどの品々という、作家にとって愛着のあるとてもパーソナルなものたちがイマジネーションの糸によって、必然的存在であるように繋がっています。 大型の立体作品だけでなく、それにまつわる小型の作品が、あちこちのスペースを繋ぐように配置され、マークのテリトリーがマーキングされて広がっています。 |
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◎ジャンヌ・ファン・ヒースウエィク Jeanne
van Heeswijk
人々の参加を促し、コミュニケーションを通じて成り立っていくプロジェクトを展開していく。主なプロジェクトに、ロッテルダム港を望むホテルの一室を実際にニューヨークに再現、レジデンスプログラムを主催し2都市を繋ぐ文化交流の場を登場させた「ホテル・ニューヨーク」(1998-99年PS1)、1996年間にフェスタ1(ロッテルダム)での 「NEsTWORK」などがある。
《線を引こう》 |
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◎ヨープ・クルワイン Job Koelewijn 自身のバックグラウンドと、自らが身を置く場所との文化的対峙が制作の重要な動機となり、多様なスタイルの制作を展開。ベビーパウダーで覆いつくした壁、スープストックを使った回転扉など、その作品は視覚以外の感覚を刺激する。現在はニューヨークを拠点に活動。1999年ヴェネチア・ビエンナーレ、メルボルン・ビエンナーレに出品。 |
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《より高いゴールへ》 ギャラリーでは通常、作品を見てまわる水平方向の移動だけが行なわれますが、クルワインはこの作品で観客に垂直方向の動きを可能にさせます。展覧会タイトルとなっている「テリトリー(領域)」の意識は、水平方向に広がっていくほか、現代の都市で高さを競い林立するビルのように上に向かって伸びてもいます。クルワインのアイデアは、垂直方向へも広がりゆく領域に私達の意識を向けようとするもので、「見る」という受け身な体験から、実際に身体を使う体験によって、空間感覚をさらに直接的に問いかけてきます。目で見て認識する世界から、闇の中に無限に広がる宇宙のような果てしない空間へ。 ジャンプによって目の前に開ける空間は、そうした無限性へのプロローグでもあります。会場には、直径3メートルほどの円形のトランポリンが4つ、ギャラリー内に配されます。そして、トランポリンと同じ高さに仮設床をつくり、観客は昇り上がることなくトランポリン面に立ち入れるようにします。さらに仮設天井を設置し、飛び上がった人の頭が隠れるように、トランポリンの真上に同じ直径の穴をあけます。観客はブラックホールのような闇の中へ飛び上がって行くような仕様になります。 |
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◎スーチャン・キノシタ Suchan Kinoshita 19歳まで東京で育ち、以降ドイツで音楽・舞台芸術を学ぶ。オランダに移り、アーティストとしての活動を本格的にはじめた。作品は常に状況の変化する演劇的な要素を含み、鑑賞者の関わりが重要な要素となっている。1997年サイトサンタフェ(サンタフェ)、1999年カーネギーインターナショナル(ピッツバーグ)に参加。2000年ザ・ギンザ・アートスペースで個展を行った。 参加作家のなかで唯一、来日することができなかったスーチャン・キノシタから、「テリトリー」というテーマについてのアイデアが、展覧会会期中、順次、オランダから送られてきます。子供が「ここがわたしの場所」と書いた文字、ベルリンで見かけた人の話しなど、遠く離れたオランダから送られてくる小さなアイデアたちは、多様な広がりをもってテリトリーの意味を考えさせてくれることでしょう。 |
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