ライアン・ガンダーより
from Ryan Gander

父の好きな格言のひとつに「身を任せてみよ、ものごとが違う光で見られるから」というものがある。これはもちろん物理的な面にかぎらず、感情的な心の状態や思考、気分、精神、あるいは姿勢にも当てはまり、時間の経過とともに変化する情報の受け取り方、ものごとに対して意見が形成される過程も含む。一つのものを見るにしてもその見方はさまざまで、こと芸術に関してはそれが顕著だろう。たとえば、ある絵画を東京の人とイタリアの人が見る場合とでは、まったく違う見方をするのではないか。あるいは、雨の日に彫刻を見るのと(おそらく美術館に行く途中の水たまりに足を突っ込んで靴下はびしょ濡れだ)、陽の射す暖かい日に見るのとでは間違いなく違う感想を持つはずだ。あるいは、写真作品を見る時、隣に少しばかり強面の巨大な熊の彫刻があったら、見方はまた変わるはずだ。要は文脈(コンテクスト)なのだ。なにごとも公平な光のもとで見ることなど不可能である。
私は幾度となく、アーティストは「ものごとの見方が違う」と言われてきたが、これは一般的にアーティストがなにか曖昧な、型にはまらない、非協調的なものの見方をすることのある種の説明になっていて、アーティストの網膜機能にはあたかも生理学的な違いがあるかのように扱われる。もちろんこれは真実ではない。地球上のすべての人間は、視点を変え、共感を発動し、まったく同じものを何通りもの方法で理解する力を持っている。自分自身にそれを許すならば。私が過去25年間、アーティストとして学び得た唯一最大のツールとは、「Let the world take a turn 身を任せてみよ」を実践する能力だ。時間と文脈によって作品への感じ方が変わることを許容すること。違うこと、普通でないこと、不可思議なこと、変であることを怖れないこと。新しいこと、いつもと違うやり方に可能なかぎり挑戦し、遠回りすることでお定まりの状況を変え、ひととき視点を変えること。 他のアーティスト同様、この考えは若い頃の私の頭を悩ませた。この世から私がいなくなった時に遺った作品が、自分がいなくても誤解されないかどうか。特にコンセプチュアル・アートの作品は、多少なりとも物語の領域に根ざすものであり、社会のなかで単に孤立したオブジェクトとして存在しているわけではない。歳を重ねた今の私は、エゴから少し自由になり、自分の遺したものをコントロールすることに執着していない。この現象はあらゆる芸術にとって唯一最高のことだといえる。世界が変わり、意見やものごとが変化するにつれて、作品の意味が変わるのは当然のことだ。
東京オペラシティアートギャラリーの触媒的で特異なコレクションを形成した寺田小太郎氏について知れば知るほど、同じものを異なる光のなかで見ることが彼の至上命題だったのではないかと思うようになった。彼自身こう語っていたという。
「私たちは、目に見える世界の中で悪戦苦闘しながら生きています。そうすると、どうしても目に見える現実の世界でしかものを考えられなくなってしまいます。しかし、それだけではないはずです。シュールの世界も同じです。それは、単なる想像の世界ではなく、現実の秩序を壊すことで、物事の根源に迫るひとつの筋道だと思っています。」(*1) 寺田小太郎氏は独特の方法で「見る」「観る」「注視する」「眺める」「探索する」「観測する」「見物する」「観察する」「覗く」「見渡す」「走査する」「研究する」「見て楽しむ」「注目する」「監視する」「検査する」「精査する」「垣間見る」「着目する」「熟視する」「探し出す」能力を持っているが、それは私たち皆が「ものごとに当てる光」の主導者になり、いつ、どこで、どのように当てるかに自覚的であるべきという彼の信念の証だ。つまるところ、これは人間の最大の自由のひとつなのだ。この識見はまた、彼が初めてカラー映画を見たときにがっかりしたという話にも通じる。人間の想像力を深く呼び起こす白黒映画のほうがずっと魅力的だったと(*2)。本展冒頭の2室をブラック&ホワイトの作品のみで構成したのは、この偉大な人に捧げるオマージュである。
今回の展覧会で、キュレーターの野村しのぶや、この稀有なコレクションの素晴らしい収蔵作家の皆さんと一緒に仕事ができたことを、心から嬉しく思っている。とても珍しい、実験的で現代的な展示方法に対して示された彼らの信頼、寛容、そして興奮は、私たちにとって芸術の言語が、同調のための同調よりはるかに重要であると確信させてくれる。オペラシティの「慣例だから、そうする」という結論に陥らない見識を讃えたい。真に革新的な機関であることを示すひとつの印である。それぞれの方にお礼を言いたい。
私たち一人ひとりが、何に注意を向けるかという自由を握っていることについて考えると、かつてアメリカの作家で研究者のジェームズ・ウィリアムズに尋ねられた質問を思い出す。「もし、あと5日しか生きられないとしたら、ソーシャル・メディアにその5日を費やすか?」(*3) 注目を集めるために争う世界では、私たちが光を当てるものこそ最大のアセット(資産)かもしれない。あなたが一生のうちに訪れる何百もの展覧会のなかで、本展が記憶され、忘れられないものになることを願っている。あなたの主体性が強化され、あなた自身でいつもと違う光を当てたのだから。この展覧会が皆さんの記憶となってともに生きるならば、それを私たちが目で見るのではなく、心で観ることの証としてほしい。芸術の鑑賞は単に網膜によるものではなく、認識的なものなのだ。

時間をかけて、あなた自身の探検家になれ。ゆっくり行け。

ライアン・ガンダー
2021年4月6日

  • *1 「コレクター寺田小太郎さんに聞く」『アートコレクターズ』No.14,生活の友社,2009年6月,p.33
  • *2 寺田小太郎,大島清次「コレクションにおける「私」性」(対談),『東京オペラシティアートギャラリー収蔵品選』,(財)東京オペラシティ文化財団,1999年9月,p.136
  • *3 James Williams, Stand out of our Light: Freedom and Resistance in the Attention Economy, Cambridge University Press, May 2018  和訳:野村しのぶ
©Ryan Gander. Courtesy of TARO NASU
Swan films / BBC
photo: Sam Anthony

ライアン・ガンダー略歴

1976年イギリス生まれのライアン・ガンダーは、コンセプチュアルアートの新しい地平をひらく作家として世界のアートシーンで注目を集めています。2019年クンストハレ・ベルンの大規模な個展をはじめ各国で展覧会が開催されるほか、ドクメンタ、ヴェネチア・ビエンナーレなどの国際展での展示、2010年セントラルパーク(ニューヨーク)における屋外彫刻などのパブリックアートも知られています。日本では2017年に国立国際美術館(大阪)の個展およびガンダーのキュレーションによる同館の収蔵品展が同時開催されて話題になりました。