プロジェクトN

project N 62 鈴木星亜 SUZUKI Seia 2015.10.10[土]― 10.23[水・祝]
《水面 14_01》油彩, キャンバス 194.0 x 390.9cm 2014 courtesy: AI KOWADA GALLERY
《水面 14_01》
油彩, キャンバス
194.0 x 390.9cm
2014
courtesy: AI KOWADA GALLERY
鈴木星亜 知覚と表現のはざまで

鈴木星亜にとっての絵画制作とは、ものを見て描く行為そのものについての思索と探求にほかなりません。ものを見て描くとは、現実の空間を二次元の平面に置き換えることであるとして、鈴木は、その置き換え方に「正しさ」などないはずだといいます。既成の方法に盲目的に従ったり、絡め取られてしまうことなく、あらたな空間の構造を立ち上げることが鈴木の関心事なのです。とりわけ幾何学的遠近法や写真的リアリティなどが、さしたる根拠もなく依然として広く「正しい」と受けとめられ、人々のものの見方を規定してしまっている状況に対する、ささやかな抵抗精神が、鈴木の制作を支えています。
鈴木が描くのは、自分自身の日常的な生活空間や実際に訪れた場所です。ただしその場でスケッチはせず、見たもの、見えるものを言葉で記録します。アトリエに戻ってから、現場でのメモにもとづいて、油絵具でキャンバスに描いてゆきます。いったん言葉を経由することによって、既成の約束ごとに盲目的に従ってしまうことが避けられるといいます。たとえば皇居のお堀端を描いた《水面14_01》では、幾何学的遠近法の統一的で均質な視点とは異なった仕方で、空間の拡がりと奥行きが捉えられています。とりわけ、実際にその場所に立って居合わせている実感のようなものが非常に強く伝わってくるのは不思議なほどです。鈴木の作品は、彼が見たものの形や色を視覚的に写しとることよりも、その場所や環境における知覚の総体を描こうとしているようです。
筆者がここで念頭に置いているのはアメリカの心理学者ギブソンの知覚論(*)です。ギブソンにとって、ものを見て知覚するとは、網膜に届いた刺激を処理して一定の像を得ることではありません。ましてや絵画における幾何学的遠近法が想定しているような、固定され、脱身体化された視点から、それに対応する均質で幾何学的な座標空間を把握することでもありません。知覚とは端的に、生存と行為に向けた構えのもと、環境世界から生活体にとって重要な情報を得ることです。どこが立って歩けるのか、落下や衝突の危険はどこにあるのか、どこが通れてどこが通れないのか、どこが座れてどこが座れないのか……。そうした環境と生活体との関係における、生活体にとって重要な特性、情報を、ギブソンはアフォーダンスと名づけています。水平で硬い地面は支えること(一定の広さがあればその上に立ったり歩いたりできる)をアフォード(afford=与える)し、崖は落ちて危険なことをアフォードする、という具合です。そしてアフォーダンスは、単に静的な網膜像のみから得られるのではなく、身体運動との連携、たとえば視点の移動などによる探索を通して、環境からピックアップされるのだといいます。


《絵をつくるもの 13_01》油彩, キャンバス 194.0 x 260.6cm 2013 courtesy: AI KOWADA GALLERY

《絵をつくるもの 13_01》
油彩, キャンバス
194.0 x 260.6cm
2013
courtesy: AI KOWADA GALLERY

鈴木の絵画が濃厚に発散する身体的な臨場感には、鈴木がある場所、ある環境において得たアフォーダンスの知覚が色濃く表出されているのではないでしょうか。鈴木の絵画にはたえず大地(地面や水面)と空、そして樹木や建築物・構築物などが登場します。また人間の歩行を規制する縁石や柵、フェンスなどがしばしば強調して描かれています。ギブソンは、環境が人間にもたらす最も基本的なアフォーダンスの知覚において、ある面の縁や隅、遮蔽や割れ目、地平線やスカイラインなどが果たす役割の重要さを指摘しています。鈴木の絵画に繰り返し登場する先のモチーフ群は、アフォーダンスの知覚における重要な指標以外のなにものでもないのです。
もちろん、鈴木の絵画は、ある場所、ある環境における鈴木自身の知覚とイコールというわけではありません。そもそも絵画が実際の知覚と同一であるなどということはありえないのです。そして鈴木自身、見たこと(知覚)とそれを描いた絵画とのズレについて再々にわたり語っています。興味深いのは、そのズレをめぐって、描いているとどうしても「絵に描かされている部分」が出てくる、と鈴木が述べていることです(**)。たしかに絵画には絵画の条件があります。平面であること、フレームで境界づけられていること、基本的に正面の固定した視点から注視されること、物質であること…。つまり鈴木は、そうした条件からくる絵画固有の要請に従うことによって、いわば絵画的イメージの自発性を尊重しているのだと考えられます。そしてさらにそれを突き詰め、見る主体は画家ではなく、むしろ絵画そのものだという逆転の発想ににまで向かって行きます。彼の連作のタイトル「絵が見る世界」とは、その端的な表れでしょう。こうして画家の主観、主体といったものは著しく相対化され、同時に、絵画というメディウムにかなった、ある意味で客観的な、説得力のある表現がもたらされます。


《水面 15_01》油彩, キャンバス 194.0 x 260.6cm 2015 courtesy: AI KOWADA GALLERY

《水面 15_01》
油彩, キャンバス
194.0 x 260.6cm
2015
courtesy: AI KOWADA GALLERY

ところで実は、アフォーダンスの知覚においても、主体の役割は相対化されています。これは面白い符合ではないでしょうか。アフォーダンスの知覚は、受けとられた刺激が主体の中で処理され、一定の像が得られるという従来の知覚論の図式にはあてはまりません。そうではなく、アフォーダンスとは、ギブソンによれば、人間との関係において環境に「実在」する特性なのであり、人間はそれを環境の中に探り、情報としてピックアップしているにすぎません。つまりアフォーダンスは、主体においてのみ現象するような主観的な知覚ではなく、また主体の意図や要求によって変化することもないのです。
鈴木の作品がもつある種の客観性と説得力は、ギブソンの知覚論が語るような身体的知覚における主体の相対化、そして絵画表現上の問題としての主体の相対化、この両者のせめぎ合いと結合に、より深く根ざしていると言えそうです。

* J.J.ギブソン『生態学的視覚論:ヒトの知覚世界を探る』、古崎敬ほか訳、サイエンス社、1985年/佐々木正人『アフォーダンス:新しい認知の理論』(岩波科学ライブラリー12)、岩波書店、1994年。
** 2013年の個展「絵が見る世界」解説文を参照。(http://suzuki-seia.com/writing/2013/ai_kowada_gallery_solo_exhibit.html



ギャラリー展示風景 ギャラリー展示風景
ギャラリー展示風景 ギャラリー展示風景
展示風景

鈴木星亜 SUZUKI Seia
1986 東京都生まれ
2010 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻卒業
2012 多摩美術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻油画研究領域修了
東京都在住
   
主な個展
2011 「鈴木星亜」, ANOTHER FUNCTION, 東京
2013 「絵が見る世界」, AI KOWADA GALLERY, 東京
「絵をつくるもの」, Gallery Kart, 東京
2015 「水面」, 第一生命ギャラリー, 東京(カタログ)
   
主なグループ展
2008 「第1回三菱商事アート・ゲート・プログラム」, EYE OF GYRE, 東京
2010 「トーキョーワンダーウォール公募2010入選作品展」, 東京都現代美術館(11)
2011 「nine colors」, 西武渋谷店, 東京 (12, 13, 14)
「シェル美術賞展2011」, 代官山 ヒルサイドフォーラム, 東京
2012 「VOCA展2012」, 上野の森美術館, 東京(カタログ)
「大学絵画」, アキバタマビ21, 東京(リーフレット)
   
受賞
2012 VOCA展2012 VOCA賞
   
参考文献
名古屋覚「鈴木星亜」, 『VOCA展2012 現代美術の展望—新しい平面の作家たち』, 「VOCA展」実行委員会, 2012年, pp. 50-51.
高階秀爾「[絵が見る世界 11_03]鈴木星亜」, 『ニッポン・アートの躍動』, 講談社, 2015年, pp. 110-113.


■インフォメーション

会場:東京オペラシティ アートギャラリー 4Fコリドール
期間:2015.10.10[土] ─ 12.23[水・祝]
開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)


休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
入場料:企画展「LABYRINTH OF UNDERCOVER」、収蔵品展053「笑いとユーモア」の入場料に含まれます。

 

主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団

 

お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)