プロジェクトN

project N 50 榎木陽子 ENOKI Yoko 2012.10.3[水] ─ 12.24[月・祝]
《顔の無い死》油彩,キャンバス 145.5 x 112.0 cm 2012 photo: 瀧浦秀雄
《顔の無い死》
油彩,キャンバス
145.5 x 112.0 cm 2012
photo: 瀧浦秀雄
当事者になる鑑賞者 榎木陽子の絵画について

project Nの展示にあたり、「サイエンス・フィクション」を描きたいと榎木から聞かされたのは2011年秋のことでした。震災から半年が過ぎ、被災地の復興の様子は伝わってくるものの、原発事故の処理は進まず、その動向に世界中の注目が集まっていた時期です。このような時期に、榎木は本展の展示全体を震災をテーマとしたサイエンス・フィクションの物語として構成することに決め、制作を始めました。

《あるいは預言者が》油彩,キャンバス 130.3 x 89.4 cm 2012 photo: 瀧浦秀雄

《あるいは預言者が》
油彩,キャンバス
130.3 x 89.4 cm 2012
photo: 瀧浦秀雄

物語の始まりは予兆です。「想定外」として語られることの多いこの原発事故を、あるいは予感し、警告を発していた存在があったのではないだろうか。榎木は、さる有名な反核ミュージシャンの生前の姿(《あるいは預言者が》)、個人動物園で飼育される猛獣の脱走というアイダホ州で実際に起こった事件(《顔の無い死》)を事故の予兆として位置づけ(アイダホ州の事件の発生は、実際には事故の後である)、物語の冒頭に登場させています。 震災後を描く後半では、一転して榎木と家族の現実の物語が挿入されます。台風で倒れた木によって知人の家が大破するという実際の災難を目にした彼女の母親は、そのショックにより、近くの山に入って木を切り続けるという不可解な行動をとり、それは今も続いているそうです。《母は森を見た》、《森の中の母》で描かれるのは、尋常ならざる行動をとる母親の姿です。次に登場する二人の「彼」の一方は、こうした母親を「異端」と見る現実世界の象徴であり、また「想定外」を唱える時の権力者の姿でもあります。対するもう一人の「彼」は、物語のパラレルワールドとして存在する「目に見えない世界」の長として表されています。はたして母親の行動は現実からの逃避なのでしょうか、また、森は異端者を隔離する現代のサナトリウムなのでしょうか。榎木の物語の最後では、母親は森の中に独り住むことを決め、生活の証である火をおこしているシーンで終わります。

展覧会の時期が近づいた今年の夏、打ち合わせを兼ねて出向いた榎木のアトリエで、展示の構成と出品作品の一部を初めて目にした時、想像をはるかに超える壮大なプランに驚かされました。そして、この榎木陽子という作家が、絵画の領域の中で何を目指し、表現したいのか、という点への興味が俄然増すことになりました。この壮大なストーリーには、未曾有の出来事に対する榎木個人の問いと解釈が随所に埋め込まれており、それらは観る者にとっても、「どう生きるか」を自問させる装置として働いています。榎木の絵画制作に込められたものは社会に対するメッセージの発信であることは疑いありません。しかしそれは榎木個人の解釈を鑑賞者にそのまま共感させることを目的とするものではなく、鑑賞者一人ひとりが自ら考え、選ぶことを願って発せられるメッセージです。物語の最後の、森の中の人物を描いた作品は、榎木の母親の姿であると同時に、あらゆる制約や常識から解き放たれ自らの意志によって行動をとり始めた人間の自立の形とも考えられますが、そこには鑑賞者それぞれがこの物語を引き継いでいくことの期待が込められているのではないでしょうか。

《失われた庭》油彩,キャンバス 各40.0 x 31.8 cm(2点組)2012 photo: 瀧浦秀雄

《失われた庭》
油彩,キャンバス
各40.0 x 31.8 cm(2点組)2012
photo: 瀧浦秀雄


次に、榎木の作品の絵画としての特徴を考えてみましょう。彩度をおさえた重い色彩と、はっとするほど鮮やかな色が滲みをともなって塗り込まれた画面は、かろうじて具象性を保っているものの、人物や草木、建物といったモチーフは極限まで省略され、周囲と溶解する寸前の状態で描かれています。そのため、観る者の意識はディテールを失って塗りつぶされたモチーフの個々ではなく、湿り気を帯びたような画面の中の空気、そこに漂う感覚的な気配といった目に見えないものへと向かい、それを察知しようと全身の神経を研ぎ澄ませることになります。その過程で、鑑賞者はそれぞれ日常の中で経験した感覚を記憶の中からたぐり寄せようとするのですが、それは実際の経験にまつわる文脈から切り離された純粋な感覚として榎木の画面と結びつき、画面の中のストーリーのものとして経験されます。明確なプロットにもとづいて構成された榎木の絵画群が単なる絵解きに終わらないのは、その一つひとつが鑑賞者の感覚を汲み出して結合することで新たな経験を創り出すところにあり、その連続によって私たちは榎木の大きな物語の当事者として深く入り込まざるを得なくなるのです。

ギャラリー展示風景 ギャラリー展示風景
ギャラリー展示風景 ギャラリー展示風景
展示風景

榎木陽子 ENOKI Yoko
1978 石川県生まれ
2000 筑波大学芸術専門群美術専攻洋画コース卒業
2004 アントワープ王立芸術アカデミー視覚芸術学科絵画コース卒業
2005-06 ベルギー政府奨学生
2006 アントワープ王立芸術アカデミー視覚芸術学科絵画コース修了
2009 第24回ホルベイン・スカラシップ奨学生
2010 前橋アートコンペライブ2010グランプリ受賞
現在,東京都在住
   
主な個展
2008 「50/25」,スィプレス・ギャラリー,ルーヴェン,ベルギー(リーフレット)
2009 「遠い瞬間」,ギャラリー砂翁,東京
2011 オリオン,レデヘム,ベルギー
   
主なグループ展
2007 「Temporary City」,ローケルン市内旧製菓工場,ベルギー(09 アトリエホフ・クロイツベルク、ベルリン)(カタログ)
「Ver van Eden」,フィンケム教会,ボーヴォールデ,ベルギー/ホントストーヘ,フランス(カタログ)
2008 「Honorons Honoré」,デ・ガラージュ(メッヘレン市文化センター),ベルギー(カタログ)
2010 「spirits and landscapes」,グリム美術館,ベルリン/ウィールズ,ブリュッセル
2011 「tokyo story vol.1」,Gallery Den,現代HEIGHTS,東京


■インフォメーション

会場:東京オペラシティ アートギャラリー 4Fコリドール
期間:2012.10.3[水] ─ 12.24[月・祝]
開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)

休館日 :月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
入場料 :企画展「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」、収蔵品展「042 やさしさの気配」の入場料に含まれます。

主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団

お問い合わせ:東京オペラシティ アートギャラリー Tel. 03-5353-0756