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至福のドラマ
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画集『ゆらぐ/わたる』(2000年)に収録された対談のなかで、谷川俊太郎氏は、この画家の作風の移り変わりを巧みに聞き出しています。いまそれをもとに、2000年以降の画家の歩みを踏まえながら、実際の作品と照らし合わると、画風の変遷はおおよそ次のようになります。
| 1969〜79年 | 西欧や中近東の異国風俗に触発された作品。《時のむすび娘》《丘の国》 |
| 1976〜86年 | 擬人化された動植物、幼児のような女性、肉感的な山。《儚》《山玄》など |
| 1977〜86年 | ナイーヴ派風あるいは細密描写風の風景や花卉。《雨あがり》《花畑》など |
| 1984〜86年 | 銅版画。《蝶の一頭》《恍》など |
| 1987年 | 半年間毎日1枚ずつ描いた新聞連載小説の挿絵。《手のなかのいのち》 |
| 1989年〜 | 山をモティーフにした〈シリーズゆらぐ〉 |
| 1990〜95年 | 果 物を描いた作品や、植物の芽をモティーフにした〈シリーズ屮(めばえ)〉 |
| 1993年〜 | 雲、月、太陽をモティーフにした作品。《天海》《旦気》など |
| 1997年 | 〈シリーズ漾(ただよう)〉 |
| 1999年〜 | 太陽をモティーフにした〈シリーズわたる〉 |
| 2007年〜 | 日本画。《朝の帷》《五月の朝》 |
異なる作品が同時併行で制作されることもあり、必ずしもある作風が完結してべつの作風が始まるわけではありません。ですが、初期作品から一貫して自然のなかに潜む生命力やエロティシズムに着目し、山、雲、太陽などのモティーフを倦むことなく描き続け、自然の存在の神秘や宇宙の根源の真理に迫る特異なヴィジョンを深化させていった道程がわかります。さまざまな作風の系列が複雑に絡み合いながら融合し変化して、今日の奥山民枝の画境を形成してきたといえるでしょう。
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| 《花蝶》 油彩, キャンバス 37.0 × 44.5cm, 1983 |
もっとも大きな転換点は1980年代後半です。最初の画集『旅化生』(1986年)をまとめた画家は、やがて山をモティーフにした〈シリーズゆらぐ〉に着手しました。こうして画面から動植物や女性像が消え、雲、月、太陽などを主要なモティーフとした《天海》《旦気》などをへて、1999年からは太陽だけをモティーフにした〈シリーズわたる〉が始まります。『旅化生』以前の作品が地上の物語だったとすれば、それ以後の作品は天空のドラマと呼ぶべきかもしれません。シリーズ名に使われている「ゆらぐ」「わたる」は、見慣れないものですが、作家による作字ではなく、『大漢和辞典』などに収載される漢字です。谷川氏との対談のなかで、画家は、「山のように動きそうもないものも動く」「時間も空間も命に似て有機的に動いている」「人間の観察力も感性も世界の実相もすべて、このゆらぎのなかにある」と「ゆらぐ」の文字の意味について述べています。また、「わたる」については、世界は目に見えない幾層もの位相の重なり合いで、“今ここ”は、過去も未来も、時間的にも空間的にもすべてを共有しつつ、わたりあうところとその命名の理由を説明しています。
新しい画風の展開に大きな意味をもったのは中国の山水画でした。1980年頃に京都国立博物館で初めて宋元花鳥画に触れた画家は、やがて山水画、とくに六朝時代の顧愷之(こがいし)の山水表現に惹かれるようになったといいます。たとえば、《旦気》などの作品に、中国絵画の規範とされる気韻生動や仰視、水平、俯瞰の三遠法を指摘するのは、あながち見当違いとはいえないでしょう。
「究極の恋愛小説」とも評される『山水戀圖』(2005年)は、はるか彼方に見えた美しい山に恋した川の物語で、彼女との一体化を夢みて、命を賭して山の麓まで流れていこうとします。奥山民枝による自作解説、あるいは、その絵画を文学という形式に置き換えたものと見做すこともできるかもしれません。草叢で過ごした幼少期の至福の体験やその後の神秘的な体験を深めて、卓越した油彩画技法と東洋的思想を融合させながら、奥山民枝は万物の本質に迫ろうとしています。
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| 《シリーズゆらぐ:地気》 油彩, キャンバス 44.0 × 52.0cm, 1991 |
《シリーズゆらぐ:山季》 油彩, キャンバス 88.0 × 129.0cm, 1993 |








![収蔵品展031
奥山民枝 東京オペラシティコレクションより 2009.10.17[土] ─ 12.27[日]](/ag/exh/img/112/title.gif)


