収蔵品展028 難波田龍起・難波田史男  2009.1.17[土] ─ 3.22[日] 難波田龍起《木立:中野風景》 油彩、キャンバス 72.7 x 90.9 cm、1929 photo: SAITO Arata
難波田龍起《木立:中野風景》
油彩、キャンバス
72.7 x 90.9 cm、1929
photo: SAITO Arata

龍起と史男 二つの軌跡

難波田龍起が24歳の時の風景画《木立(中野風景)》(1929年)は、具象と抽象の間に浮遊するような曖昧さを湛えています。この作品の中で、画家のまなざしは正面の屋根に注がれながら、どこか彼方へと散っているのです。龍起は自然の一部としてある木々と、自分の生命も含めた風景をとりまく世界全体を、写実を超えた次元で捉えようとしているようです。龍起の内面に映し出された風景は、その後独自の抽象へと変容を遂げてゆくことになるのです。

難波田龍起《森》 油彩、キャンバス 60.6 x 80.3 cm、1951 photo: SAITO Arata
難波田龍起《森》
油彩、キャンバス
60.6 x 80.3 cm、1951
photo: SAITO Arata

1950年代前半、戦後の都市は復興に沸いていました。龍起は都市の街並みに美を感じ、抽象表現へと歩みを進めてゆきます。《森》をはじめとする一連の作品は、植物を思わせるモチーフを明快な線で描いた幾何学的な構成の作品ですが、やや湿り気をおびた画面の質感からは、近代を象徴するドライな枠組みに、情感をいかに重ねようかという葛藤が伝わってきます。社会にも美術界にも西洋的な思考が流入する時代にあって、龍起は次第に日本人としての根を意識し、内なる声に耳を傾けるようになっていったのではないでしょうか。

1950年代後半、龍起は日本の美術界を席巻していたアンフォルメル[*1]の運動に刺激を受ける中で内的な表現への志向を加速させてゆきます。内的衝動のみで描くのではなく「新しい別の秩序」の必要性を感じた龍起は「自由な内面のイメージによってオートマチックに制作する」手法へと移行します。手の動きにまかせて潜在するものを画面上に表出させようとするこの方法は、70年代の心象表現へとつながるものでした。

ほぼ同じ頃、父と同じ画家の道を志した龍起の次男史男は、全紙大のグワッシュ画を次々と完成させていました。史男が描いたのは、具象でありながら人の顔や動物や宇宙人や風景のような、写実とはかけ離れた幻想的なイメージで、すべては内面から「泉のごとくわきでる」ものでした。写実について史男は1960年6月(当時19歳)の日記で「写実より己の力で作ることだ。要するに彼らのは似せているのみ。それよりか、違っていても、それなりのよさを作り出してゆけばよい」と記していますが、たしかにその独創性において史男は才能豊かな画家であったといえます。1963年と64年のドローイングのシリーズは、穏やかな曲線にも、鋭い直線にも、ペン1本で空間に切り込もうとする生命感があふれています。描くことへの自信と、描いている間は自立した個であるという実感、それらは孤独と表裏一体でもありました。

難波田龍起《森》 油彩、キャンバス 60.6 x 80.3 cm、1951 photo: SAITO Arata
難波田龍起《森》
油彩、キャンバス
60.6 x 80.3 cm、1951
photo: SAITO Arata

1960年代後半、史男が入学した早稲田大学は学生紛争のただ中にありました。時代の抗いがたい力によって史男の心身はどれほど疲弊していったか想像を絶するものがあります。1968年の「太陽シリーズ」は、二次元的な表現の上にインクのにじみによる深みが加わって新たな時間と空間の広がりを想像させ、陰りのある画面からは史男の孤独感が伝わってきます。 1970年代に入ると水辺や空など現実の向こう側にある世界を幻視するような作品が多くなりました。展示中の作品のうち《食卓》は唯一史男にとっての現実の世界で、家族との食卓での情景が繊細な線で描かれています。

僕の絵は、何処かに何時も家族のやさしさをぶらさげている。夕げの食事を、ゆげのでる母のこさえたごはんのあたたかみをぶらさげている。ぼくは旅だとうとしている。野に出ようと、海にでようと、家出しようとしている。今、わかった。愛とは分離の感情なのだ。家を一歩出ると不条理がわんさと存在している。それ故にこそ、不条理をいきないことだ。ぼくの絵には何かある。ぼくの絵には愛がある・・・。[*2]

史男を内面から支えるただ一つの現実は、家族との日常であったのかもしれません。 いつもと変わりなく制作が続いていた1974年1月、瀬戸内海を航行するフェリーからの転落事故により突然その道は絶たれます。

龍起にとって、史男を亡くし、翌年に長男の紀夫をも亡くすという悲劇は、壮絶を極める現実となりました。描き続けるほかに龍起がそれを受け容れるすべはなかったに違いありません。息子の存在を近くに感じながら筆を動かすことで生まれたであろう《幻》や《群像》、そして《合掌》からは、龍起の鎮魂の祈りが伝わってくるようです。 1994年、世田谷美術館における個展で龍起は《生の記録》のシリーズ3点を発表しました。《生の記録3》の画面は、深く塗り込めた青の絵具が物質としての存在感をもって、巨大なうねりを生み出しています。海原にたゆたい、天空へと昇って行くものは、龍起が内面のイメージを探り続けて到達した「生」の形象にほかなりません。息子の死を乗り越えてその先を生き抜いた龍起は、おのれの内面が求めてきた「抽象」をこの大作の中に結晶させたのです。

[*1]「非定形の」という仏語を語源とする抽象美術の傾向。1950年代初頭のヨーロッパで批評家M.タピエによって推進された。
[*2]難波田史男『終着駅は宇宙ステーション』、幻戯書房、2008年、p.453. 1968-69年頃の史男のノートより



ギャラリー展示風景 ギャラリー展示風景
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展示風景

■インフォメーション

会場:ギャラリー3&4(東京オペラシティ アートギャラリー 4F)
期間:2009.1.17[土]─ 3.22[日]
開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)

休館日:月曜日、2月8日[日](ビル全館休館日)
入場料:企画展「都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み」の入場料に含まれます。

主催:財団法人東京オペラシティ文化財団
協賛:NTT都市開発株式会社

お問い合わせ:東京オペラシティアートギャラリー Tel. 03-5353-0756